2013年7月19日金曜日

「ストリッパー物語」

7月18日 19時開演 池袋東京芸術劇場シアターイースト
作 : つかこうへい
構成・演出 : 三浦大輔
出演 : リリー・フランキー、渡辺真起子、渋川清彦、安藤聖、古澤裕介、新田めぐみ、米村亮太朗、門脇麦、でんでん
この芝居で三浦大輔は、つか演出の定番である「ミエを切り続ける」演技を一切廃して、通常の会話で押し通します。それを可能にしたのは、シゲ役のリリー・フランキーの存在でした。演技しているとは思えない、どちらかといえばボソボソ喋るリリー・フランキーの言葉は、屁理屈ともいえる「ひも道」も、すんなり違和感なく聞けてしまいます。その分割を食ったのはほかの役者で、特にヒロイン明美の「過剰なけなげさ」も印象の薄いものになってしまいました。
つか演出では、「ひも道」を言いつのらなければいられない男の悲しみがクローズアップされてきて、それが観客のカタルシスにつながるのですが、三浦演出では、シゲは最低のゲス野郎で、本人もそれを自覚しており、そこに救いはありません。唯一の救いは、シゲの娘がニューヨークに留学して、待望のミュージカルの主役を獲得して帰国することですが、それもラストで、明美に「まだ、あなたの番じゃない。」と拒絶されます。そこらへんは、ポツドールらしいといえます。
それにしても、リリー・フランキーは、リリー・フランキーを演じさせたら,超一流の役者でした。

おにぎり「トークトワミー」

2013年7月17日 14時30分開演 下北沢ザ・スズナリ
作 : 江本純子
演出 : 千葉哲也
出演 : 市川しんぺー、池谷のぶえ、村木仁
「毛皮族」の江本純子が、外部にはどんな脚本を書くのか、興味があって見に行きました。いつもがさつな言葉をぶつけ合っている中年夫婦と、妹にしょっちゅう金を無心にくる兄の話。ある日、突然女が入院することになり、自分たちの将来に不安を感じながら(不安は,各の妄想として表れる)、相手を思いやる会話を交わすようになる。江本の脚本は、激しい言葉を使いながら、「毛皮族」でのようなアナーキーさは、影を潜めている。もちろん、ある程度は当て書きの部分もあるだろう。経験豊富な役者と、千葉哲也の手堅い演出でよくまとまっている舞台となっていた。特に、池谷のぶえが時々、短い台詞で空間をびしっと締めていたのが印象的だった。
ラストの、夫に燃やされてしまったと思っていた虎の子の100万円が無事であったが、夫のいたずら心で、すべてテレビカードに変えられていたという、あまりできがよいとも思えないオチが、ぴたっと決まったのは、演出と役者の演技力のおかげでしょう。

2013年7月14日日曜日

「盲導犬」

2013年7月8日 19時開演 渋谷シアターコクーン
作 : 唐十郎
演出 : 蜷川幸雄
出演:古田新太、宮沢りえ、小出恵介、小久保寿人、大鶴佐助、松田慎也、堀源起、佐野あい、金守珍、木場勝己、大林素子、ほか
私にとって唐十郎の戯曲は,状況劇場の役者たちと分けがたくつながっているのだということを再認識させられた舞台でした。どの台詞も、李麗仙ならば、不和万作ならば、大久保鷹ならば、全く違って聞こえてきただろうという気持ちが抑えられず、舞台自体を楽しむことが出来ませんでした。この「盲導犬」は、状況劇場で上演されたことは一度もないので、私個人の勝手な思い込みに過ぎないのですが、致し方ありません。
桜社による初演はもちろん、ほかの団体による舞台も見ていないのに、このような感想を抱くのもどうかしていると思うのですが、それだけ、状況劇場のイメージが強いということでしょうか。
唐十郎の戯曲の魅力は、過剰にロマンチックな台詞と共に湧き出してくる雑多なイメージにあると思うのですが、今回の蜷川演出では、台詞のみにこだわってそれに伴うイメージを排除しているように見えました。それが役者の自由さをも封じ込めたため、金切り声の台詞がとびかうだけの寂しい舞台になってしまいました。蜷川演出の肝は、ビジュアルな演出にあると思っていた私には、納得できないものでした。
振り返って見れば、蜷川芝居を見たのは、「身毒丸」、「下谷万年町物語」、そしてこの「盲導犬」の最近の3本だけ、昔の作品は、劇評などから得たイメージだけなのですから、蜷川の変化に勝手に戸惑っているだけなのかもしれません。

FUKAI PRODUCE 羽衣「Still on a roll」

2013年7月12日 19時30分開演 こまばアゴラ劇場
作・演出 : 糸井幸之介
出演 : 深井順子、日高啓介、伊藤昌子、福原冠、澤田慎司、高橋義和、鯉和鮎美、鈴木祐二、新部聖子、森下亮
FUKAI PRODUCE 羽衣の芝居を見るものこれで3本目です。最初は、同じアゴラ劇場で「耳のトンネル」でした。これは、日常的な愛の形がさまざまなイメージに変化し、,最後には大きな愛のイメージが広がるというぶっ飛んだ作品でとてもおもしろく見ました。
2本目は「サロメ VS ヨナカーン」、シアターイーストと会場も少し大きくなって、7組のサロメとヨナカーンによる愛の形をすっきり、整理された形で見せてくれました。3本目の今回は、会場がアゴラ劇場に戻って、対面客席の舞台となりました。そのためか、上下の客席に同じことを繰り返す振付が多くて、あきがきました。また、異常に客席にかける芝居や、振付が多く,少しうんざりです。
3本を通して見ると、最初の「耳のトンネル」が傑作であることがよくわかります。

2013年7月4日木曜日

扉座「アトムへの伝言」

2013年7月3日 19時開演 紀伊国屋ホール
作・演出 : 横内謙介
出演:六角精児、山中崇史、伴美奈子、岡森ねい、鈴木利典、犬飼淳治、高橋麻理、松原海児、松本亮、比嘉奈津子、中原三千代、高木トモユキ、野口かおる、新原武、江原由夏、上土井敦、野田翔太、塩屋愛美
前日に続き昨年秋のベッド&メイキングスでの怪演で私の気になる女優の一人に躍り出た野口かおる狙いで、扉座を見に行きました。
野口かおるは客演なので、客演らしい使われ方、劇中のアクセントというか、鉄砲玉的な使われ方で、お得意のグダグダなアドリブや、女のきたないところも丸ごとさらけ出すような芝居をしていました。しかし、東京初日の緊張からかグダグダアドリブも、「セリフなんか言えなくてもいいのよ。生きてさえいれば。」という域にまではいけず、中途半端なところにとどまっていました。野口かおるを楽しむためには、彼女に余裕ができるであろう後半に行くのが良さそうです。
芝居は落ち目の漫才師とロボットが漫才コンビとして復活するという話なので、劇中、漫才シーンが3回ほどありました。漫才シーンの台本も良くかけているし、テンポ良く喋っているのですが、やはり、漫才と芝居は似ているけれど、違うものだという感を強くしました。芝居では、漫才師の役を演じている役者が漫才をしているのに比べ、漫才師は、半ば無自覚的に自分を演じて漫才をしているのだと思います。その自意識の差が、どうしても越えられない溝として、芝居と漫才を分けているように思えます。

ピチチ5「はぐれさらばが"じゃあね"といった」

2013年7月2日 19時30分開演 三鷹市芸術文化センター星のホール
作・演出 : 福原充則
出演:菅原永二、今野浩喜、野間口徹、植田裕一、三土幸敏、碓井清喜、三浦竜一、広澤草、仁後亜由美、古牟田眞奈、久ヶ沢徹
昨年秋のベッド&メイキングスの公演で、唐十郎ラブな脚本と演出を見せて、今年4月のブルドッキングヘッドロックでは、全体の中心となる主役の演技で芝居をまとめていた福原充則が主宰するピチチ5の芝居を見ました。
三鷹市芸術文化センターの太宰治をモチーフにした演劇シリーズの一環で、私が見るのはままごとの「朝がある」に続いて2本目です。ままごとの場合は、太宰作品の再構成と言った趣でしたが、今回は太宰治本人に注目した作品となっていました。舞台は、太宰が作家デビューする前と、有名になってから一回目の自殺未遂をする前後の2箇所を中心に、様々な時間と空間をシームレスに行ったり来たりします。脚本的にも演出的にも無理なく、わかりやすくシーンがつながって行くのですが、照明が所々つながっていかず、無理な変化をしているのが気になりました。
太宰治も宮沢賢治も、作品の朗読などを絡めて人物像がわかりやすく提示されているのですが、中原中也だけが、人物像が分かり難かったのが残念です。脚本、演出のせいというより演技のせいでしょうか。
出色なのは、貫さんという人物で、造り酒屋の杜氏で象に自分の酒を飲ませるために突進したり、川で鯨を捕まえたりするトリックスター的な人物。太宰治が自分が成りたかった理想像なのでしょう。