2013年12月30日月曜日

ポップンマッシュルームチキン野郎「銀色の蛸は五番目の手で握手する」

2013年12月27日 19時30分開演 新宿シアターサンモール
作・演出:吹原幸太
出演:加藤慎吾、小岩崎小恵、サイショモンドダスト★、高橋ゆき、野口オリジナル、渡辺裕太、杉岡あきこ、井上ほたてひも、宮原将護、NPO法人、吹原幸太、CR岡本物語、今井孝裕、山口航太、青山雅士、増田赤カブト、横尾下下、加藤チャック、村上亜利沙、仁田原早苗、小林ピヨ美、田坂啓太、辰巳晴彦、内野聡夢
2回目の観劇でした。1回目の観劇記録を読み返したら、「2度と見ない」と書いてありました。それにもかかわらず、見にいったのはチラシに書いてあった「金のコメディフェスティバルで優勝した」という言葉のせいでした。我ながら権威に弱いと思いますが、いつ面白い芝居をするかわからない若い劇団の場合には、プラス要素の評価は積極的に受け入れていかないて見にいかないと、面白い芝居を見逃す恐れが多分にあります。
そう思って2回目を見にいきましたが、結果はやはり残念なものでした。
当日パンフレットを読むと作・演出の吹原幸太はアニメやテレビの脚本、それに小説も書いているようですが、そのせいか、荒唐無稽な設定をうまくまとめる構成力はあるのですが、肝心なテーマ、「自己犠牲」を新しく魅力的に見せるほどの筆力はありませんでした。最近、新しい感性の芝居が見たいという欲求が増している私にとって、見たくない種類の芝居でしかありませんでした。
新しい感性が感じられるか、使い古されたテーマなら、それを面白く見せてくれるだけの演出力、演技力がある芝居を見たいのです。
結局、2回目の観劇後の感想は、「やはり、だめだ。もう見る必要はない。」です。

2013年12月15日日曜日

北村想作「グッドバイ」

2013年12月13日 19時開演 三軒茶屋シアタートラム
作:北村想
演出:寺十 吾
出演:段田安則、蒼井優、柄本佑、半海一亮、山崎ハコ、高橋克実
その昔、傑作戯曲「寿歌」を書いた北村想の新作と言うことで、見にいきました。沙汰ートラムとはいえ、一月公演のなかばだというのに客席は満員なのは蒼井優のおかげでしょうか。
本も役者も特に目立って悪いところない休憩なしの2時間でした。こういう可もなく不可もない芝居を見ると、私が見たい芝居は、「新しい芝居」なんだと気づかされます。「わけはわからないが面白い」、「無我夢中で、我を忘れる」そんな観劇体験をしたいのだと、そんな芝居を求めて、劇場に通っているのです。だからTwitterの「面白い」につい、騙されてしまうのです。そんな反省をさせてくれる芝居でした。

2013年12月13日金曜日

モダンスイマーズ「死ンデ、イル。」

2013年12月12日 19時30分開演 下北沢ザスズナリ
作・演出:蓬莱竜太
出演:古山憲太郎、津村知与支、小椋毅、西條義将、坂田麻衣、松本まりか、西井幸人、宮崎敏行、高田聖子
前作「楽園」からずいぶん間があきましたが、女優を1名、劇団に加えての公演でした。派手なところはないですが、手堅い構成のしっかりした脚本がこの劇団の強みです。
演出面では、主役の新加入女優の台詞をほとんどプロジェクターから投影することで、彼女の負担を減らし、演技の自由さを確保しているように見えました。
その甲斐あってストーリーの流れがスムーズになり、主人公のイメージも十分広がっていました。
いずれにせよこの劇団の肝は、作・演出の蓬莱竜太であることは代わりありません。

2013年12月12日木曜日

官能教育「三浦直之(ロロ)×堀辰雄「鼠」

2013年12月10日 19時30分開演 六本木音楽実験室・新世界
脚本・演出・構成:三浦直之
出演:望月綾乃、三浦直之
その昔自由劇場だった場所が知らないうちに音楽実験室・新世界としてオープンしていました。内装は最小限の改装という感じで、壁、天井を白く塗り、ステージとオケピット、バーカウンターを作っただけでした。全体に天井が高くなっていたので、少し床面を掘り下げたのかもしれません。
そんな新世界でロロの三浦直之による」朗読劇を見てきました。演劇評論家の徳永京子による「官能教育」というシリーズの一環で、演劇人に自分がエロい思う小説を朗読してもらうというモノでした。知らなかったのですが、過去に私のお気に入りのFUKAI Produceの糸井幸介のやっていたようです。
朗読自体は1時間程度で、出演者自らスタンドライトをつけたり、マイクのセットをしたりという手作り感満載のものでしたが、内容はうまく整理できておらずわけのわからないものでした。この公演で一番面白かったのは、produce lab 89.comにのせた三浦直之の「童貞宣言」ともいうべき文章でした。わけがわからないなりに三浦直之が変わろうとしていることだけは、はっきりわかりました。

小松台東「デンギョー」

2013年12月7日 19時30分開演 高田馬場ラビネスト
作・演出:松本哲也
出演:小林俊祐、永山智啓、中田麦平、尾倉ケント、小笠原健吉、塙育大、竹岡真悟、石澤美和、大竹沙絵子、佐藤達、松本哲也、緑川陽介
劇団名は、「こまつだいとう」ではなく、「こまつだいひがし」と読むそうです。
「デンギョー」というタイトルだけで見にいきました。デンギョーとは、電気工事業者の略です。社長が入院している傾きかけた電気工事業者の職人詰め所を舞台に、義理と人情と過酷な競争がリアルに描かれていきます。笑ったのは、オープニングで職人全員が一斉に缶コーヒーを飲むところでした。職人さんは本当に缶コーヒーが好きでよく飲みます。
昔、私が通っていた建築現場では、缶コーヒーのプルリングを集めて、施設に車いすを2台寄付できたほどでした。
電気工事の内情がよくかけているし、職人達の人物像もリアリティにあふれているので、作者は電気工事業で働いていたことがあると思います。
しかし、私にとっては今更こんな芝居を見せられても意味がありませんでした。単なる「あるある」ものを見ているようでした。

ブラジル「性病はなによりの証拠」

2013年12月7日 19時30分開演 王子小劇場
作・演出:ブラジリィー・アン・山田
出演:辰巳智秋、西山聡、諌山幸治、印宮伸二、堀川炎、金沢涼恵、佐々木千恵、小川夏鈴
2012年の吉川威史 PRESENTS「素晴らしい1日」の脚本を書いたブラジリィー・アン・山田自身の劇団での公演を見ました。「素晴らしい1日」の時に脚本が面白いと思って、ずっと、本人の演出も見たかったのです。
結論的にいえば、「本は達者だが、演出はいまいち。」といったところでしょうか。
特に、最後に二人だけが生き残ってからの幻覚シーンはいただけませんでした。うまい
オチが考えつかず、開き直って松田聖子というのがみえみえで残念です。

城山羊の会「身の引きしまる思い」

2013年12月4日 19時30分開演 三鷹市芸術文化センター星のホール
作・演出:山内ケンジ
出演:岸井ゆきの、石橋けい、ふじきみつ彦、成瀬正太郎、原田麻由、岩谷健司、島田桃衣、KONTA
最初に城山羊の会を見た時にこれは不条理劇だと書きましたが、それは私の勘違いだったようです。2回、3回と見ていくうちに、山内ケンジが描きたいのは人間の意識がふとずれる、いわゆる「魔が差す」瞬間なのではないのかと思うようになりました。
亡くなった夫を愛していたはずなのに、初めて会った怪しげな男に心を奪われる。そして、結婚までしてしまう。周りからも認めらる常識的な生き方から、突然スイッチが切り替わったように、別の世界にはいってしまう。そんな瞬間を舞台上に表すことに興味があるように見えます。
そんな役目を負わされて舞台に登っている役者たちは、皆少しだけ自信なさげに見えます。ただ、芝居をするだけでは許されないことが、プレッシャーになっているのでしょうか。その不安が周りを探るような芝居として表れ、いわゆる大人の会話的な雰囲気を醸し出して、城山羊の会の芝居らしさを作っているような気がします。
今回の芝居の最大のポイントは、三鷹市芸術文化センター職員の森元さんでした。彼は、前説として現れ、一般的な諸注意を述べた後、実は、城山羊の会の三鷹市芸術文化センターでの最初の公演の時、自分はすぐ殺される夫の役で出演したと話出します。そこに銃声の効果音。森元さんはまたもすぐ殺される役で出演していたの
でした。その上、ラストでは亡霊となって現れ、そのまま終演の挨拶までしました。
最近見た芝居の導入部としては、最も面白いものでした。

2013年12月4日水曜日

リミニ・プロトコル「100%トーキョー」

2013年11月30日 15時開演 池袋東京芸術劇場プレイハウス
作・構成:リミニ・プロトコル(ヘルガルド・ハウグ、シュテファン・ケーギ、ダニエル・ヴェッツェル)
演出:ダニエル・ヴェッツェル
出演:統計に基づき選出された100名の人々
東京都の統計に基づいたいろいろな年齢、性別、国籍、住所の人が100名集められ、「イエス、ノー」で答えられる簡単な質問に答えていくことで、今のトーキョーを浮かび上がらせようとする試み。
世界各国で上演され、様々な反響を巻き起こしてきたそうですが、ここトーキョーではいかに。
結論を言えば、新鮮でとても面白かったです。舞台上で繰り広げられる普通の人々(役者ではない)の生き生きとした様に、涙さえ流しました。
そして、上演中ずっと、日本人と欧米の人の差について考えていました。外国のパフォーマンスアートを(私の場合は、ほとんどアメリカのものですが)見ると、「くどい」、「しつこい」、「このシーンはわかったから早く次のシーンにいってほしい」と思うことがよくあります。なぜあんなにしつこいのか長年疑問だったのですが、この芝居を見て少し理由がわかったような気がします。
日本人は、「一を聞いて十を知る」ことを喜ぶ傾向があると思います。芝居でもそれはよくあって、短い印象的なシーンをつなげて言いたいことを表現しがちだと思います。少し丁寧に追いかけていくと、説明的だと言われたりします。それに比べて、欧米人は、はるかに論理的です。「1+1=2」というような公理から始まって、理屈を組み立て、「だから、結論はこうです」という形が身についているようです。
その過程を日本人の私は、「くどい」、「しつこい」と感じてしまうのでしょう。
今回の公演のポイントは二つです。一つは、統計に基づいて選出されたという客観性(統計学的には、900万人に対して100人では、サンプル数が少なすぎて正しい統計とはいえないと思いますが、これは学問ではなくて演劇なので問題にならないと思います)、もうひとつは選出された人が次の人を紹介していくという関係性。これにより、見ている人は100人の人を一つの集団として見ることがたやすくなります。出演者同士にも連帯感が生まれているようでした。
このように、客観性とシンパシーを与えられた人々に、様々な質問を与え、答えさせる。
あたかも
単純な論理を繋いでゆき、その結果、単純な足し算の結果をはるかに上回る感動を作り上げる。
極めて実験的な作品と言われつつも、実は欧米的な演劇の作り方を忠実に行っていった結果の作品だと思います。