2013年3月24日日曜日

ワワフラフラミンゴ「馬のリンゴ」


2013年3月15日 19時30分開演 神楽坂フラスコ
作・演出 : 鳥山フキ
出演:北村恵、浅川千恵、石井舞、加藤真砂美、佐藤祐香、名児耶ゆり
以前、鳥山フキの個人企画の公演を見に行ったところ、独特の不思議な感覚があることはわかるものの、それのどこが面白いのか全く理解できず、本体のワワフラフラミンゴの公演を見てみようと考えていたことを実行しました。
神楽坂の表通りを一歩はいったところにある、小さなギャラリーが会場でした。私には慣れ親しんだ、劇場という「何かを見せてやる。」という雰囲気に満ちた場所とは違い、何かが始まるという感じの全くしない静かな時間が流れているだけというギャラリーを、会場に選ぶ理由は何なのでしょうか?
会場費が安い。
観客と出演者の距離が異常に近い。
そんなところでしょうか?もっと、何か深い理由があるような気もします。
芝居は、やはり、フワフワ、フニャフニャした不思議な感覚に包まれた日常会話と、同じ感覚のままでの吸血鬼との会話で構成されていました。どなたかがチラシの裏の推薦文で、「女の子の秘密の会話を覗き見ているようないけない感覚」というようなことを書いていましたが、私とっては、目前で赤裸々に繰り広げられる不思議な会話という感じでした。
私が男性だからか、年寄りだからか、理由は今ひとつわかりませんが、面白いとは思えませんでした。あの感覚に共感できる人には、面白いのかもしれませんが、私はダメでした。

2013年3月14日木曜日

月刊根本宗子「今、出来る、精一杯。」


2013年3月12日 18時開演 下北沢駅前劇場
作・演出:根本宗子
出演:早織、加藤岳史、墨井鯨子、梨木智香、大竹沙絵子、前園あかり、下城麻菜、あやか、遠藤隆太、浅見紘至、野田裕貴、根本宗子、片桐はづき
劇団名の珍しさに惹かれて見に行きました。結論を一言でいえば、高校演劇じゃないんだから、そんなに頭でっかちにならないで芝居をして欲しいということです。
チラシや当日パンフレットにも書かれていますが、最近、根本宗子の親しい人が亡くなったようで、そのことに影響を受けて書かれた芝居のようです。
他人との関係をあまりにも真面目に、もしくは頑なに自分の考えを貫き通そうとするために、めんどくさい人になっている人々が描かれています。中学時代に事故で女性を半身不随にしてしまい、自分はどもりになってしまった人、引きこもりに惚れたため相手のすべてを肯定しすぎて、完全に依存され自分も崩壊してしまう人、前のバイト先で自殺がおき、それを自分のせいだと思ってしまい、さらに自分のからに閉じこもってしまう人など、様々なめんどくさい人々が出てきます。その人たちが、一人のバイトのわがまま放題の振る舞いに振り回され、やがて、自分なりの「今、出来る、精一杯」を考えて、一歩を踏み出そうとする。そんなストーリーなのですが、何しろ、ほとんどすべてを台詞で説明してくれるので、芝居を見ているというよりは、芝居の解説を聞いているような感覚に陥ります。最後に、駄目押しでスライドで、「人間関係はめんどくさいことが色々起きる。一度に呑み込むことはできないけれど、精一杯飲み込んで前に進んでいこう。それが、私にできる精一杯。」(おおよそ、そのような意味だったと思います。なにしろそれまでに説明が多すぎて、お腹いっぱいの状態だったので、半目を開いているのが精一杯だったので)という言葉が出てしまいます。
これを出すくらいなら芝居なんかやめて小説か、エッセイでも書けば良いのにと思わざるを得ません。それは、芝居を見たお客さんが感じることで、そのために芝居をするにではないでしょうか?
完全に勘違いしているとしか思えません。
次回作を見に行くことはないでしょう。

2013年3月12日火曜日

KAKUTA「秘を以て成立とす」


2013年3月5日 19時30分開演 三元茶屋シアタートラム
作・演出:桑原裕子
出演:吉見一豊、藤本喜久子、清水宏、成清正紀、瓜生和成、原扶貴子、佐賀野雅和、若狭勝也、高山奈央子、野澤爽子、桑原裕子、ヨウラマキ
トムズプロジェクトの「熱風」の時にも思ったのですが、桑原裕子は達者な作家だと思います。謎を含んだまま進んで行くストーリーで観客の興味を引っ張り、最後にスッキリ謎解きをして納得させ、更に明日への希望をさらりと提示して、優しい気持ちで客を帰す。できそうでなかなかできないことだと思います。
ストーリーは、子供の頃、姉を死なせてしまったと思い込んだ医者が、それを超えるため、エリートの医者と、乱暴者の大工を別人格として生み出し、生きていく。家族は、それを秘密として隠して生きことで家の平和を守っていく。しかし、町内のマラソン大会をきっかけに秘密が公になり、もう一度、やり直す決心をする。それ以外にも様々な人の様々な秘密が描かれて行き、人間は実に秘密を抱えながら生きている動物であることが提示される。
秘密というテーマ自体よりも、それを抱えて右往左往する人々が良く描かれていて、実に笑える芝居に仕上がっている。
しかし、自分の病気を自覚した主人公がやり直す決心をするラストで、妻と手を取り合ってマラソンに復帰するのは、あまりにも安直な演出にしか見えませんでした。何か別の意図があったのでしょうか?
最後に、役者としての桑原裕子も特筆すべき存在だと思います。
ブサ可愛いを絵に描いたような演技で、メインストーリーとあまり関係ないところで、芝居を膨らませていました。

アマヤドリ「月の剥がれる」


2013年3月5日 14時開演 座高円寺1
作・演出:広田淳一
「散華」と言えば、私の世代だと高橋和巳の小説「散華」ということになるのですが、この劇団にとっては、どんな意味を持つのでしょう。本来の意味は仏教で法要時に花をまいて場を清め、悪霊を祓うということらしいですが、その後、戦死の婉曲的表現として使われるようになったようです。
ストーリーとしては、散華と称する平和運動が起こる。これは、自国の軍隊が人を殺すたびに、会員は一人づつ自殺していくという運動。運動はやがて世界中に広まるが、最終的に大量殺戮兵器が使われ、会員の大量自殺が起こり、運動は崩壊する。
それを反省して、その国では「怒り」を放棄することで、平和を目指すことを選択する。ざっとまとめるとこのようなストーリーなのだが、私には、どこにも共感できるところがありませんでした。
と、ここまで書いたところで、時間となったにでソワレで劇団KAKUTA「秘を以て成立とす」を見ました。KAKUTAの感想はまた別稿で書きますが、見てわかったことがあります。それは、アマヤドリの役者の芝居が下手でそれに共感できなかったので、散華の考え方に共感できなかったわけではないということです。共感以前の問題で、下手な芝居にうんざりしただけだったのです。
演出家にもその自覚があったようで、ダンスをいれたり、コロスのような人が場面場面で、外から見ているという演出を多用したりしていました。しかし、私には更に意味不明度を増しているだけのように思えました。
次世代を担う劇作家の一人と期待されているという前評判を聞いて、見に行ったのですが、残念な結果となりました。

2013年3月4日月曜日

LEMON LIVE Vol. 10「トリオ」


2013年2月28日 19時30分開演 下北沢 OFF-OFFシアター
作・演出:斎藤栄作
出演:西牟田恵、野口かおる、武藤晃子
日替りゲスト:我善導
開演前の日替りゲストと作・演出の斎藤栄作のトークで知らされるまで全く知らなかったのですが、LEMON LIVEとは斎藤栄作のプロデュースユニットであり、過去9回男優ばかりで公演を行ってきたこと、今回、10回目ということで、初めて女優ばかりの芝居をやってみたことなどを知りました。
何も知らないまま見に行った私のお目当ては、もちろん、野口かおる。ベッド&メイキングスの好演以来、気になる女優です。
芝居は、完全に三人に向けた当て書きで、売れない音曲漫才トリオで、酸いも甘いも噛み分けた年増の姉御が西牟田恵、奔放でだらしなく一人では生きていけない女が野口かおる、チャッカリしていて目ざといが、基本的にはいいこの若手が武藤晃子、その三人が一人の男(日替りゲストの男優)を取り合うのだが、実は女癖の悪い男を懲らしめる手のこんだお芝居だったというストーリー。
トムプロデュースの「熱風」の時にも思ったことですが、当て書きで演技に余裕のある時のベテラン女優の爆発力は、すごいものがあります。この芝居でも、コント風あり、ドタバタあり、サスペンスありの盛りだくさんの内容でしたが、あっという間の90分でした。
特に、野口かおるが長いアドリブのシーンで叫んだ「台詞なんかどうでもいいじゃない。(舞台の上で)生きてさえいれば!」というセリフには、感動しました。
秋には、つかさんの「買春捜査官」を演じるようですが、今から楽しみです。

扉座「つか版忠臣蔵」


2013年2月28日 14時開演 すみだパークスタジオ
原作:つかこうへい
脚本・演出:横内謙介
つかこうへいさんとは、つかさんが有名になる前、早稲田の劇団と一緒にやっている時に、その劇団に参加していた高校の同級生の誘いで手伝いに行ったのが、最初の出会いでした。まだ、「熱海殺人事件」の前で、「郵便屋さん、ちょっと」をやっている頃でした。それがきっかけで、私は、舞台照明の世界に足を踏み入れました。途中、いろいろ回り道をしたけれど、今、また、照明の仕事をしています。つかさんとその劇団の人々には、芝居について色々教えてもらいました。
その後、仕事が忙しくなってつかさんの舞台を見ることもなく、今日、40年以上ぶりにつかさんの芝居と再会しました。
40年ぶりのつか芝居は、思っていた以上に面白く楽しいものでした。年をとったせいで、役者や観客のエモーションを無理やり高めるために大音量で鳴り響く音楽は、少々辛いものがありましたが、あっという間の2時間15分でした。現代にあのような形でつか芝居を再現できた横内謙介の才能はたいしたものです。
つかさんの芝居は、「やせ我慢の美学」だと思います。惚れた女のためにすべてを打ち捨てて討ち入りにいく。忠臣蔵では、討ち入りを企むものとして井原西鶴と中村座の座長七五郎が描かれていますが、討ち入りを悪用する黒幕というより、討ち入りの動機を説明するという役目にしか見えません。つかさんの力点は、「やせがまん」におかれています。
他に面白かった点としては、井原西鶴役の役者が、どう見ても漫画美味しんぼの「海原雄山」にしか見えなかったこと。本人も完全に意識していると思います。また、殺陣が、すごく良くできていて、様式美の領域まで達しているように思えました。最近見た殺陣の中では、秀一でした。
前から思っていたことですが、つかさんのあの長台詞のルーツは、大衆演劇の「見得」にあることを、再確認しました。逆説的にいえば、長台詞を成立させるために、日本人の共通の美学である「やせ我慢」を持ち出し、それを煽るために大音量の音楽を流すと言えるかもしれません。
これだけ楽しかったのですが、、もっとつかさんの芝居が見たいとはあまり思いませんでした。昔のガールフレンドに久しぶりに再会して楽しかったが、よりを戻したいとは思わなかっということなのかもしれません。