2015年7月21日 19時開演 東京芸術劇場シアターイースト
作・演出:福原充則
出演:清水葉月、根本宗子、青山美郷、望月綾乃、山田由梨、杉ありさ、葉丸あすか、佐藤みゆき、猫背椿、竹森千人、中山祐一朗、富岡晃一郎
ひさしぶりに本当にいい芝居を見て,幸せな気持ちになれた一夜でした。カリスマ性にあふれた作家、演出家、役者が現れにくい今の時代ですが、才能がある人がいないわけではなく、全員で力を合わせて自分たちの特徴を突き詰めていけば,なでしこジャパンのようによい芝居を作れるのだということを実感しました。
まず第一に,本と演出が素晴らしい。当日パンフによると福原充則がこの芝居を演出するのは4回目と言うことで、手慣れた感じで役者の個性を引き出しつつ、物語を進めていきます。その上に乗っかって、役者陣が自由に演じている感じがびしびし伝わってきます。
ある日突然自殺してしまう主人公を演じた清水葉月は,見た目と演技はちょっと劣化した蒼井優のようですが、透明感のあるみずみずしい芝居で全体を引っ張っていきます。ひとつ間違えるとイタイ発言を連発する不思議ちゃんになりそうですが、そうならないようせりふは注意深くコントロールされていました。
次に、大人サイドを一人でしょって立ち、見事にその大役を果たした猫背椿も素晴らしかったです。女子高生7人を相手に一人で大人のだめさ加減を十二分に発揮して見事でした。
「南の島に雪が降る」では、サイドストーリーでの登場で印象が弱かったですが、今回はその実力を見せていただきました。何しろもう一人の大人サイドのサボってばかりいるサラリーマンの富岡晃一郎は、「大人なのに、社会のルールがわかりません。」などとほざいている中途半端な設定なので、猫背椿ががんばるしかないのです。というか、今回の富岡晃一郎は完全に猫背椿の引き立て役で、その意味では実に好演していました。
びっくりしたのは、根本宗子でした。以前、彼女が主宰する「月刊根本宗子」の芝居を見にいったことがあるのですが、肩肘張った物言いが目立つ言動の割に芝居は面白くない、よくあるパターンの演劇人だと思っていましたが、今回の彼女は違いました。自殺した清水葉月を生き返らせようと、必死で訳のわからない呪文を唱え続けるうぶで真面目でかわいい女子高生を熱演していました。なにしろ、赤い鳥居を背負い,鳥居のペンダントをぶら下げたセーラー服で登場するのですから、笑ってしまいます。演出家によって役者が見違えるよい例だと思います。
残念だったのは、清水葉月、根本宗子以外の女子高生がみんな足が太くて女子高生に見えなかったことです。逆に根本宗子は中学生くらいにしか見えませんでした。
2015年7月23日木曜日
さんぴん「NEW HERO」
2015年7月17日 19時30分開演 東京芸術劇場アトリエイースト
作・演出:さんぴん
演出監修:三浦直之
出演:板橋駿谷(ロロ9,北尾亘(Baobab),永島敬三(柿食う客)、福原冠(範宙遊泳)
色々な劇団に所属する若手男優が4人集まって、一般の人々にインタビューをし、それを自分たちなりに構成・演出して物語るという試みでした。なぜ彼らがそんなことを思いつき、実行に移したのかはわかりませんが、面白い試みだとは思います。
一般の人々とは言え、その中には彼らの肉親も(主に、祖父や祖母)含まれるため、その距離感が露骨に話し方に反映されてしまいます。知らない人に聞いた話は結構客観的に再構成されて聞きやすいのに、肉親の話は情に流されて聞きにくいところが多々ありました。その揺らぎと、話をまとめなければいけないという意識が、スケールを小さくしているように見えました。どちらかに振り切って進まないと、進路は見えてこないと思います。
客観的に進むなら誰か第三者の脚本家が必要だと思いますし、情にながされるなら、集団演出は難しいと思います。(悪のりという形で、一気にエスカレートする可能性はありますが、持続はできないと思います。)
役者としては、板橋駿谷が目につきました。筋トレ好きなのは知っていましたが、4人の中で際立った肉体を持っているのに、不器用で板橋駿谷以外を演じられないところに好感が持てます。他の3人が結構小器用に役を演じ分けてくるので、その不器用さがいっそう目立ちます。できれば、この不器用さのまま、成長していってほしい物です。
作・演出:さんぴん
演出監修:三浦直之
出演:板橋駿谷(ロロ9,北尾亘(Baobab),永島敬三(柿食う客)、福原冠(範宙遊泳)
色々な劇団に所属する若手男優が4人集まって、一般の人々にインタビューをし、それを自分たちなりに構成・演出して物語るという試みでした。なぜ彼らがそんなことを思いつき、実行に移したのかはわかりませんが、面白い試みだとは思います。
一般の人々とは言え、その中には彼らの肉親も(主に、祖父や祖母)含まれるため、その距離感が露骨に話し方に反映されてしまいます。知らない人に聞いた話は結構客観的に再構成されて聞きやすいのに、肉親の話は情に流されて聞きにくいところが多々ありました。その揺らぎと、話をまとめなければいけないという意識が、スケールを小さくしているように見えました。どちらかに振り切って進まないと、進路は見えてこないと思います。
客観的に進むなら誰か第三者の脚本家が必要だと思いますし、情にながされるなら、集団演出は難しいと思います。(悪のりという形で、一気にエスカレートする可能性はありますが、持続はできないと思います。)
役者としては、板橋駿谷が目につきました。筋トレ好きなのは知っていましたが、4人の中で際立った肉体を持っているのに、不器用で板橋駿谷以外を演じられないところに好感が持てます。他の3人が結構小器用に役を演じ分けてくるので、その不器用さがいっそう目立ちます。できれば、この不器用さのまま、成長していってほしい物です。
2015年7月17日金曜日
長塚圭史「かがみのかなたはたなかのなかに」
2015年77月11日 17時開演 新国立劇場小劇場
作・演出:長塚圭史
振付:近藤良平
出演:首藤康之、近藤良平、長塚圭史、松たか子
2013年と同じ座組で、いちおう子供向けの企画ですが、子供より大人の方が楽しめる仕上がりでした。首藤康之と近藤良平、松たか子と長塚圭史がペアで,鏡のこちらと向こうの人物を演じるという設定で、タイトルもそれに準じたアナグラムになっています。設定、ストーリーともに前回よりスマートになっており、それは進歩だと思うのですが、そのため菊花(仮)が少なく、私には前回の方が楽しめました。鏡の世界なので、ミラー振りとでも言うのでしょうか、二入が鏡のこちらと向こうのように左右対称に踊る場面が何度かかるのですが、どうしても相手の動きを意識して踊らざるをえないので、いつもの伸びやかな,自由な感じがなくなっていたのが残念でした。
今回の最大の収穫は、長塚圭史の女装でしょうか、あれだけ背の高い人が女装すると、あんなに悲惨なことになるという見本です。
作・演出:長塚圭史
振付:近藤良平
出演:首藤康之、近藤良平、長塚圭史、松たか子
2013年と同じ座組で、いちおう子供向けの企画ですが、子供より大人の方が楽しめる仕上がりでした。首藤康之と近藤良平、松たか子と長塚圭史がペアで,鏡のこちらと向こうの人物を演じるという設定で、タイトルもそれに準じたアナグラムになっています。設定、ストーリーともに前回よりスマートになっており、それは進歩だと思うのですが、そのため菊花(仮)が少なく、私には前回の方が楽しめました。鏡の世界なので、ミラー振りとでも言うのでしょうか、二入が鏡のこちらと向こうのように左右対称に踊る場面が何度かかるのですが、どうしても相手の動きを意識して踊らざるをえないので、いつもの伸びやかな,自由な感じがなくなっていたのが残念でした。
今回の最大の収穫は、長塚圭史の女装でしょうか、あれだけ背の高い人が女装すると、あんなに悲惨なことになるという見本です。
悪い芝居「キスインヘル」
2015年6月29日 19時開演 赤坂レッドシアター
作・演出:山崎彬
出演:横田美紀、渡邊りょう、田中良子、土屋シオン、山崎彬、中西柚貴、長南洸生、植田順平、岡田太郎、畑中華香、四万十川友美、北岸淳生、呉城久美
悪い芝居ならぬひどい芝居を見てしまいました。現代の純愛を描こうとして、最初に真逆の恋愛感情を利用して商品を売りつけることを仕事としている人々と、愛なんかない、精子と卵子の結合こそが全てだと主張する原理主義者を出してきて、その人々が純愛に目覚める逆転劇にしようとしたのだと思うのですが、肝心の純愛がうまく表現できず、バンド演奏で無理矢理盛り上げて終わるという,演劇としては最低の終わり方でした。舞台上での生演奏が妙にうまくて、多分、ミュージッシャンに芝居を教えたのだと思うのですが、それがまた妙に通り一遍の芝居を小器用にこなす結果となり、この芝居の失敗の一因になっているような気がします。
ラストの演奏中、することもなく舞台に佇む原理主義者の役者が,脚本家としての山崎彬に見え、無理矢理盛り上げようとマイクで客をあおり、客席を駆け回る山崎本人は演出の焦りと絶望感そのものでした。
作・演出:山崎彬
出演:横田美紀、渡邊りょう、田中良子、土屋シオン、山崎彬、中西柚貴、長南洸生、植田順平、岡田太郎、畑中華香、四万十川友美、北岸淳生、呉城久美
悪い芝居ならぬひどい芝居を見てしまいました。現代の純愛を描こうとして、最初に真逆の恋愛感情を利用して商品を売りつけることを仕事としている人々と、愛なんかない、精子と卵子の結合こそが全てだと主張する原理主義者を出してきて、その人々が純愛に目覚める逆転劇にしようとしたのだと思うのですが、肝心の純愛がうまく表現できず、バンド演奏で無理矢理盛り上げて終わるという,演劇としては最低の終わり方でした。舞台上での生演奏が妙にうまくて、多分、ミュージッシャンに芝居を教えたのだと思うのですが、それがまた妙に通り一遍の芝居を小器用にこなす結果となり、この芝居の失敗の一因になっているような気がします。
ラストの演奏中、することもなく舞台に佇む原理主義者の役者が,脚本家としての山崎彬に見え、無理矢理盛り上げようとマイクで客をあおり、客席を駆け回る山崎本人は演出の焦りと絶望感そのものでした。
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