2015年11月27日金曜日

篠田千明「悲劇」

2015年11月27日 19時30分開演 吉祥寺シアター
作:斎藤恵太
補綴:岸井大輔
演出:篠田千明
舞台美術:佐々木文美
映像:いしいこうた
音響:星野大輔
照明:上田剛
振付・ステージング:中林舞
出演:竹田靖、辻村優子、福留麻理、AoKid、安藤尚之、石橋里美、狗丸トモヒロ、榎本純子、大寺亜矢子、小野彩加、貝塚伊吹、勝田智子、小出実樹、斎藤友映、佐久間麻由、佐藤英美、紫藤祐弥、寿里、杉林建生、葉丸あすか、前川遥子、森田有貴、邸木有佳、山田麻子、吉次匠生
元快快の中心メンバーで、現在はタイバンコックに住んでいるらしい篠田千明の公演でした。「悲劇」とは、「悲しい劇」ではなく「劇に非ず」という意味のようです。
チラシ裏のスタッフの言葉を読むと、各スタッフのアイデアを篠田千明がまとめ上げた作品ということのようです。いわゆる「集団創作」のリーダーが篠田千明ということでしょうか。
そうしてできあがった作品は、どこをどうとっても演劇でした。「悲劇ー劇に非ず」を演劇を超える新しい創造を目指している勝手に考えた私の思い違いでした。
残念ながら、演劇としてのできも必ずしも「よい」とは言えないものでした。

2015年11月26日木曜日

東葛スポーツ「ウラGBB」

2015年11月26日 20時開演 神保町SOBO
構成・演出:金山寿甲
出演:佐々木幸子、橋本和加子、西山真来、折笠慎也
チェルフィッチュ「God Bless Baseball」のドラマトゥルクを務めた金山寿甲がそれに触発されて、突然発表されたようにみえる公演でした。
しかし、今まで見た東葛スポーツの中では一番ストーリーがある公演でした。
新築マンションの見学に来た二組のカップルと案内の不動産屋の女性、なぜか壁面にはヤクルトの優勝を決める試合の映像が流れる。それにかぶさる異様にうまい佐々木幸子のラップ。中身は、まいどおなじみ、モッシュと呼ばれているらしい東葛スポーツのパターンでした。演出の思いつきででっち上げられたとしか思えない小道具の数々は、「手作り」という言葉から想像できるあたたかさがみじんもない寄せ集めのガラクタのようです。(褒めているつもりです)
確かに、ほかの誰もがやっていない新しいことをやっているけれど、その新しさが切り開く新しい地平は未だみえてこないというところでしょうか。
新しい地平が切り開けるかどうか、今しばらく見ていきたいと思います。

2015年11月25日水曜日

地点×空間現代「ミステリア・ブッフ」

2015年11月25日 19時30分開演 にしすがも創造舎
作:ウラジミール・マヤコフスキー
演出:三浦基
音楽:空間現代
出演:阿部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平
演奏:野口順哉、古谷野慶輔、山田英晶
地点の芝居は大ホームランになるか,空振りになるか予測がつかないので、全て見にいく以外方法がありません。過去ホームランだったのは、「河童」、「光のない」、「三人姉妹」の三本だけでした。今回の公演も大いなる空振りでした。まず第一に、空間現代の音楽が下手くそなプログッレシブロックのようで、面白くありませんでした。また、地点の演技の特徴のひとつである会話もモノローグのように喋る事も徹底されていなくて、妙に浮ついた感じが全体に漂っていました。しかし、役者達はいつもと違って少し嬉しそうで、会話が会話として演じられることや、自分の台詞きっかけでバンド演奏が始まることが嬉しかったのかもしれません。
その印象はカーテンコールでも続いていて、演出の三浦基をはじめとした全員の「やりきった感」には、違和感を覚えました。
ロシア革命時の芸術家、マヤコフスキー、メイエルフォルドなどには、独特な魅力があるように感じます。演劇の新しい形を作ったという歴史的価値だけではなく、革命初期の高揚そのままに自分の才能を力一杯開花させたというところが主な原因だと思います。

2015年11月24日火曜日

チェルフィッチュ「God Bless Baseball」

2015年11月24日 19時30分開演 池袋あうるすぽっと
作・演出:岡田利規
翻訳:イ・ホンイ
出演:イ・ユンジュ、捩子びじん、ウィ・ホンヒ、野津あおい
岡田利規の造る芝居の登場人物は、いつもキレイに抽象化されている。全く、生活感が感じられない。今回も同様で,その上韓国人俳優が日本人を演じ、日本人俳優が韓国人を演じるという仕掛けを施し、劇中でわざわざそれを説明するという手間までかけている。
そこまで抽象化した登場人物達が日韓の野球のエピソードを語り、最後には舞台正面奥に吊られた花のようなトランペットスピーカーの表面が水で剥がれ落ち、木地がむき出しになる。それがアメリカだということなのだろけれど、それじゃ、何も言っていないのとおんなじです。
前にも書いたが、岡田利規の芝居は現実の切り方が問題で、その切り方に共感できれば面白いが、できなければ何もない。今回は、残念ながら何もない方でした。
ただ、字幕の問題はうまく解決されていて、舞台上下のスコアボード風のセットに,韓国語と英語の翻訳が投影される。これだと視線の移動が少なくて済むので、集中が途切れることもあまりありませんでした。
字幕が必要なとは、それを前提とした装置や演出が必要だということです。

2015年11月22日日曜日

贅沢貧乏「みんなよるがこわい」

2015年11月22日 10時30分開演 三鷹駅北口三鷹共同ビル2階
作・演出:山田由梨
出演:青山祥子、大竹このみ、田島ゆみか、山田由梨
贅沢貧乏という劇団名が面白い事と、「家プロジェクト」という尖った活動をしていたということで見にいきました。
「家プロジェクト」というのは、一般的な小劇場を借りての公演では、時間が限られていて作品を成熟させることができないとして、一軒家を借りてそこで稽古をしてロングランの公演を行い、作品を完成形に近づけるとの考えに基づき、2014年の1年間に3本の作品上演を行ったのというものです。
この三鷹での公演は、「家プロジェクト」以後、初めての外部での公演となるようでした。
貸し劇場のスケジュールに制約を受けたくないという気持ちはわからなくはありませんが、それは制作側の気持ちであり、見る側には関係ないことです。「家プロジェクト」の作品を見ていないので今回の公演と比べることはできませんが、この作品を見る限り、際だって変わっているところもなく、若い女性クリエーターの気持ちを可愛く表していました。強いていえば会場選びにその特徴が出ていて、普通のビルの1室が女性のアパートにしつらえてあって、外からの扉を開けてアパートに帰ってくるという演出から始まるというあたりでしょうか。
物語は、フリーターの女性が部屋に帰ってくるところから始まります。帰ってすぐ寝てしまうと、女性の心の3つの性格がベッド下から現れてしゃべり出します。主な性格は、人見知りで臆病で心配ばかりしている。もう一つは,向こう見ずで思ったことを後先考えずに実行してしまう。最後の1つは、前の2つの性格を受け入れてある種悟っているような感じでしょうか。
その3つの性格の会話から、過去の後悔、将来の不安などが語られていきます。
よくあるといえばよくある設定ですが、どこかかわいらしいところが救いです。
頭でっかちな美大生という感じはぬぐえませんが、機会があればまた見たいと思います。

パリ市立劇場「犀」

2015年11月22日 15時開演 さいたま芸術劇場大ホール
作:イヨネスコ
ベケットと並ぶ不条理劇の2大巨頭であるイヨネスコの作品ということで、わざわざ与野本町まで見にいきました。不条理劇というと、ベケットと別役実のせいでほとんど何もない舞台の上でぼそぼそ喋るというイメージしかなかったのですが、「犀」は違いました。格調高いのであろうフランス語で、2時間以上しゃべり続けられて、それを聞いているだけでとても疲れました。装置も大がかりで、2階屋の引き枠を駆使して事務所やアパートをあらわすなど凝った演出を見せてくれました。特に、事務所のシーンで上下の引き枠の2階の床を傾斜させる演出などは、どう考えても意味がないとしか思えず、笑ってしまうほどでした。
不条理というよりは全体主義へのプロテストという方に演出の重きが置かれていて、それに即したアンサンブルの動かし方などはあざやかなものがありました。
演技では、主人公の親友ジャンが犀になっていくところの芝居は、うめき声と体の動きだけで犀になっていく過程を見せきり、言葉の壁を越えることに成功していました。
今回は事前に戯曲を読み、粗筋を頭に入れてから見たのですが、やはりどうしても字幕が気になりついついそちらを見てしまって芝居に集中できませんでした。外国からの招聘作品を見るにあたって、字幕の存在は難しい問題です。

2015年11月17日火曜日

ロロ「いつだって窓際であたしたち」

2015年11月17日 19時30分 横浜STスポット
策・演出:三浦直之
出演:亀島一徳、森本華、大場みなみ、島田桃子、多賀麻美、新名基浩
高校演劇大会のフォーマット、1)上演時間60分以内、仕込時間10分以内 2)消え物、危険物の使用禁止 3)照明、音響などの操作は,現役高校生もしくは顧問に限るに準じた,ロロの新しいシリーズの第1作でした。
ある高校の昼休み、モテナイ君が窓際の自分の席でいつものシューマイ弁当を食べようとすると、知らない女子が座っている。もちろん、話しかけられないモテナイ君。というところから始まるストーリーですが、1時間という時間はあまりにも短く、イントロから始まって、Aメロ、Bメロといってサビに行く前に終わってしまう感じで,物足りません。
高校生活を「実在するファンタジー」といいきって作劇する三浦直之のナイーブさは大好きですが、それを満喫するには1時間は短すぎました。

2015年11月16日月曜日

カムカムミニキーナ「>ダイナリィ」

2015年11月16日 19時開演 座・高円寺
作・演出:松村武
出演:山崎樹範、清水宏、夕輝壽太、莉奈、田端玲実、未来、松村武、藤田記子、亀岡孝洋、米田弥央、長谷部洋子、吉田晋一、田原靖子、佐藤恭子、元尾裕介、藍山彩、正木航平、芹井祐文、本間茂樹、福久聡吾、菊川耕太郎、渡邊礼、大倉杏菜、芦原桐子、柳瀬芽美
劇団を旗揚げして25年だそうですが、私がカムカムミニキーナを見るのはこれが最初です。作・演出の村松武は他劇団への客演で何度か見ていますし、今回は出ていない八島智人はテレビでおなじみです。
村松武は日本の民話、神話に造詣が深いらしく、狐憑きを基にした新興宗教の存亡とそれにまつわる様々な人々の欲望を、時空や虚実にかかわりなくぶちこんでくるという混沌とスピード感にあふれる芝居に仕上げていました。その仕上がりは、面白いといえば面白い、結構好き嫌いの分かれるものでした。私にとっては、「面白いものではあるが所々に見える真面目さが気になる。もっと、ぶち切れてもよいのではないか。」というところでしょうか。もっとも下手にぶち切れると,げんこつ団のようになってしまうのかもしれません。
元々この芝居を見る気になったのは、清水宏が出演するからでした。彼の役柄は、記憶喪失の依頼者の僅かな手がかりを基にストーリーをでっち上げ、事件の解決を目指す演劇探偵を副業とする劇団「演劇革命」の主宰者にして,作・演出家というもので、その無理矢理な設定を具現化するのには、彼の熱量と勢いだけで舞台を成立させるキャラクターはぴったりです。というか、彼のためにあてがきされたとしか思えません。
しかし、いつもと少し様子が違いました。スタンドアップコメディの時は、彼の熱量と勢いは直接観客にぶつけられ、その反応を確かめながら話を進めていくので、客の反応が鈍いときには手を変え品を変え、時にはしつこく同じ話を繰り返したりして、舞台が進んでいきます。これが芝居となると、彼の熱量と勢いは周りの役者にょって,一も二もなく承認されてしまいます。そうしなければ、話が前に進んでいかないので当たり前です。その手応えのなさに、清水宏は少し寂しそうというか、物足りなさを感じているように見えました。
なにしろ、国家表現規制局や警察の弾圧に対し、対抗策を次々にでっち上げて仲間とともに実行するという狂言回し的な役柄なので、いつものようにサイドストーリーで他の役者とはひと味違う違和感を漂わせて、キラリと光ってみせるというわけにはいかなかったようです。

2015年11月5日木曜日

ARICA「Ne ANTA」

2015年11月5日 19時30分 三軒茶屋シアタートラム
原作:サミュエル・ベケット
演出:藤田康城
出演:安藤朋子、山崎広太
もと転形劇場の女優安藤朋子とダンサー山崎広太による公演でした。演劇というよりは、演劇とダンスを包括するようなパフォーマンスアートといえると思います。
中年の男がベッドに座っている。窓の外を覗き、冷蔵庫の中を覗き、いつの間にか開いている扉を閉める。それを何度も繰り返す。そのたびにどこからともなく女の声がある女性の思い出を語る。やがて物陰から女が現れ、男の後をつけ回すようになる。最後にまるで男の心の中に入ってくるように、その女が扉から侵入してきたところで終わる。
山崎広太の動きは,ある時点でギアが変わったように変化します。まるで重力を感じていないように動き回り、びっくりしました。
それにしても、私はこのようなパフォーマンスを語る言葉を持っていないことを痛感しました。なにか抽象的な概念を具現化しようとしているらしいということはわかるのですが、それが何かということが言葉にできません。

げんこつ団「ボリショイ・ライフ」

2015年11月4日 19時開演 下北沢駅前劇場
脚本・映像・音響:一十口裏
演出:一十口裏、植木早苗
振付:植木早苗
出演:植木早苗、春原久子、河野美菜、大場靖子、池田玲子、望月文、川端さくら、久保田琴乃、山口奈緒、杉森多恵子、三明真美、鷹羽彩花
また1つひどい芝居を見てしまいました。げんこつ団という劇団名の面白さだけに惹かれて見にいきましたが、かなりのひどさでした。
台詞は棒読み、動きは右手と右足が一緒に動くようなぎこちなさ。ストーリーと関係なく中・高生が思いつくようなギャグが挿入されて、しかも炸裂せず少しも笑えない。
約2時間、全く面白くなく修行のような芝居でした。
帰宅してから調べたところ、1991年に結成され20年以上にわたって活動している劇団で、どうもあのひどい芝居はネライどうりらしいのです。公式ホームページのブログなどを読んでいくと、操り人形芝居のような表現を目指しているらしく、役者の個性よりは役を明確に役として表現していくことを重視しているようで、その結果があの芝居のようです。しかし、見て面白くなければ見にいく価値もないわけで、客が少なかったのもうなずけます。
鳥公園や快快など女性演出家の芝居が理解や共感できないことが気になっていましたが、ここにきて全く違うタイプの理解不能な女性演出家が現れたました。
鳥公園や快快はふわふわしてつかみどころがわからないという印象ですが、げんこつ団は堅すぎて歯が立たないという感じです。
頭でっかちな学生劇団のまま、20年以上芝居をやってきた希有な例かもしれません。

CHAiroi PLIN「三文オペラ」

2015年10月27日 15時開演 三鷹市芸術文化センター星のホール
作:ベルトルト・ブレヒト
演出・振付・構成:スズキ拓朗
出演:宮崎吐夢、ジョディ、エリザベス・マリー、スズキ拓朗、NIWA、田中美甫、今井夢子、増田ゆーこ、本山三火、池田仁徳、鳥越勇作、荒巻大道、新部聖子、岩坪成美、安部萌、伊藤直美、岩見和典、大橋昌広、肥沼勇人、志々目遙菜、清水美沙都、下西春奈、芹川直子、東ゆうこ、福井花、松隅加奈子、中井沙織、荒木亜矢子、渡部彩萌、小林らら、土屋杏文、三木万侑加、大塚由祈子、鷹野梨惠子、柏木俊彦、清水ゆり
「踊る戯曲シリーズ」も、「Friends」、「マッチ売りの少女」ときて3本目、当日パンフレットによれば「集大成」だそうですが、私の目には集大成失敗に見えました。
戯曲を踊るということは戯曲の解体に他ならないと思うのですが、前作2本は、「見知らぬ他人が家庭に侵入してくる」という抽象性の高いテーマであり、その抽象性が戯曲の解体とダンスによる再構築とうまくフィットしていたのですが、「三文オペラ」ではそうはいきません。
三文オペラは風刺劇であり、悪党大活躍の活劇の要素も強いからです。ストーリーは具体的で,それを面白くしていくためにはスピードと迫力が必要です。今回はそれを多数の役者を登場させることで乗り切ろうとしたようですが、成功はしていません。ザワザワした印象だけが残り、いつものステージングの見事さによる爽快感もありません。多分、オーディションで選んだメンバーといつもの役者陣との差が原因だと思います。


てがみ座「地を渡る舟」

2015年10月26日 19時開演 池袋東京芸術劇場シアターイースト
作:長田育恵
演出:扇田拓也
出演:清水伸、俵木藤汰、三津谷亮、伊東潤、川面千晶、近藤フク、福田温子、松本紀保、西山水木、今泉舞、箱田曉史、岸野健太、中村シュン、横山莉枝子、酒井和哉、峯崎亮介、谷恭輔、須田彩花
KUNIO12の「TATAMI」の時にも思ったことですが、よい台本とよい役者がいれば演出の仕事は新たな演出プランを追加することよりは、役者間の交通整理をしつつ、台本の意図を役者に伝えていくことに徹したほうが、よい芝居になりやすいということです。
演出家によって付け加えられたであろう、場面転換時の維新派のような群衆の往来や、ほっかむりをして半纏やどてらを着た名もなき民衆を表すような姿をした役者による転換、老農民と宮本常一の尾根道での会話を表しているのであろう、高さの違う丸イスを前に順繰りに送りながらそれを伝っていきながら会話するシーン、極めつけはラストの戦後すぐの群衆の往来が、段々現代の服装をした人々にすり替わっていくシーンなどが、芝居の内容を関係ないといいませんが,違和感を感じざるを得ない不要なシーンでしかありません。
芝居の内容は、渋沢敬三と宮本常一を中心に戦前から戦中にかけて戦争への熱狂とはうらはらな、地に足をつけて民俗学を通じて日本の原点を探す活動を描いたもので、昔の俳優座が好きそうな題材です。確かに,古き良き「新劇」を見ているような感じがして、演出としてはそれがイヤで様々な演出を考えたのであろうと推察できます。
しかし、台本がよくできているだけに小手先のプランを追加したくらいでは太刀打ちできなかったようです。
演出の扇田拓也は、オノマリコの「奇跡の年」で言葉の美しさを生かした端正な演出が記憶に残っていますが、ある種抽象的なオノマ台本と違い、あくまでも具体的で史実に基づいたこの芝居では、うまくフィットしなかったようです。