2013年2月28日木曜日

鹿殺し「BONE SONGS」


2013年2月27日 19時開演 池袋東京芸術劇場シアターイースト
作:丸尾丸一郎
演出:菜月チョビ
出演:菜月チョビ、松村武、姜蜴雄、丸尾丸一郎、オレノグラフィティ、山岸門人、谷山知広、森貞文則、橘輝、傳田うに、坂本けこ美、円山チカ、山口加菜、鷺沼恵美子、浅野康之、近藤茶、峰ゆとり、佐竹リサ、有田杏子
始まってすぐびっくりしたことは、全員のダンス、歌、楽器演奏のスキルが格段に上手くなっていたことでした。前回の「田舎の侍」の時に比べると、アマチュアとセミプロぐらいの差がありました。
舞台は、菜月チョビ on STage といっても良いほど、菜月チョビを中心において、周りを客演の松村武をはじめとした役者達が入れ替わり立ち替わり固めるという構成で、しっかり芯のあるものになっていました。
私が見始めた頃のような、客演の役者は面白いが、劇団員はズタボロという時期を経て、前回あたりから方針が変わったような気がします。
ストーリーは、「人は、みんなに支えられて生きている。」という道徳の時間にでも出てきそうなテーマを、暴走族と、卓球と、ロックバンドと、プロレスで物語るという鹿殺しらしいものでしたが、私としては、ラストも叙情的にならずに、最初のスピードで駆け抜けてくれればもっと面白かったと思います。
ダンスや楽器だけでなく、着ぐるみやコスプレの小道具のクオリティも上がっていて、それには感心するのですが、新たな問題も抱えてしまったような気もします。客は、ダンスや演技の技術が低くてもそれを超える何かがあれば、勝手にその可能性を想像して感動したりします。中途半端にうまくなると、それは、ある意味普通なので、冷静になったりしてしまうものです。鹿殺しは、今、その分岐点にきているような気がします。
私が鹿殺しを好きな一番の理由は、今の小劇場の中で、最も昔のアングラの匂いを持っていて、それが魅力になっているところです。今の小劇場は、皆スマートで、カッコ良く見せることがうまくて、泥臭いことはしません。その中で、鹿殺しは、あえて泥臭いことをやって見せる。そこが他にはない魅力です。
裏方は基本的に職人なので、自分の仕事の完成度を上げることを目指します。その職人的な完成度と、自分たちの泥臭さをどうバランスをとっていくか、脚本、演出の力にかかっていると思います。
亡くなった忌野清志郎のホーンセクションを長年務めた梅津和時は、清志郎との思い出話の中で、「ホーンセクションが、少し難しいハーモニーをやろうとすると、そこは基本的な泥臭いハーモニーを要求された。」と、語っていました。泥臭くやったからこそ、あれだけビッグになれたのだと思います。
鹿殺しが、今後、どうして行くのか、楽しみです。

2013年2月27日水曜日



ナイロン100℃「デカメロン21あるいは男性の好きなスポーツ」
2013年2月26日 18時30分開演 渋谷シブゲキ
作・演出:ケラーノ・サンドロヴィッチ
映像:上田大樹
出演:みのすけ、松永玲子、新谷真弓、喜安浩平、廣川三憲、藤田秀世、長田奈麻、安澤千草、吉増祐士、植木夏十、眼鏡太郎、皆戸麻衣、猪俣三四郎、水野小論、伊予勢我無、野部青年、小園茉奈、白石廿日、菊池明明、森田甘路、木乃江祐希、内田滋、安藤聖、松本まりか、千葉哲也、熊川ふみ、徳橋みのり、望月綾乃、森本華
ナイロン100℃創立20周年記念公演第一弾として企画された2004年初演の「男性の好きなスポーツ」の再演だそうです。当日パンフレットによれば、諸所の事情により「初演台本をサンプリングし、リミックスした」台本での上演となったようです。実際本番には、それを強調するかのように、突然のブラックアウトや、ラジオの局間ノイズのような効果音、ブラウン管の砂嵐のような映像が繰り返し挿入されていました。
初演を見ていないので比較はできませんが、改訂されたデカメロンはあまり笑えない艶笑コント集のような出来上がりでした。よく言えば、突然出てくる二人の謎の演劇の世界をコントロールしているらしいえらい人の存在を考慮して、メタ演劇とよんでもいいかもしれません。いずれにしても、あまりパワーの感じられないショボい出来でした。
唯一面白いと感じられたのは、映像の使い方でした。プロジェクションマッピングの技術の発達によって可能となった役者の動きと合わせた映像表現が随所に見られ、新鮮でした。プロジェクターの発達により、映像の光だけで、役者の表情や動きまで見えるようになり、照明によってかき消されていた映像のディティールまでしっかり見えるようになりました。今後、映像のわかる演出家と舞台がわかる映像作家の組み合わせにより、舞台上で新しい表現方法が見られる可能性を信じるのに十分な出来栄えでした。
映像プロジェクションのできるムービング機材DL-1がデビューした時に、「照明家が始めて具象性を始めて手にできるチャンスだ。」と思ったことを思い出しました。その後、コストの問題などで普及するには至りませんでしたが、プロジェクションマッピングの登場でまた、可能性が出てきました。将来、すべて映像投影に置き換わるとは思いませんが、照明家と映像作家の住み分けと協力により新しい表現方法が、ドンドン出てくると思います。

柿食う客「発情ジュリアスシーザー」


2013年2月25日 19時30分開演 青山円形劇場
原作:ウイリアム・シェイクスピア
脚色・演出:中屋敷法仁
出演:石橋菜津美、岡田あがさ、岡野真那美、荻野、川上ジュリア、七味まゆ味、清水由紀、鉢嶺杏奈、葉丸あすか、深谷由梨香、我妻三輪子、渡邊安理
約3週間ぶりの芝居見物だったので楽しみに寒い中でかけましたが、残念な結果に終わりました。中屋敷の演出は最初に見た「絶頂マクベス」は「キャッチーで面白い」と思いましたが、次のパルコの「露出狂」はかなり残念なできだったので、演出手法に飽きてきたのかなとも考えました。それにもめげず見た3本目は、シアターイーストで行われた「無差別」。これは、かなり良い出来で面白いものでした。そして、今回4回目はまたまた残念なパターンでした。彼の芝居は、始まってすぐに面白いかどうかわかるので、面白くない場合は残りの時間を耐えるのが大変です。
中屋敷の演出の基本は、「見得を切る」芝居をし続けることにあると思います。これは時系列的に考えて、つかこうへいの芝居の影響だと思います。そしてつかこうへいのルーツは、大衆演劇の「見得」にあります。大衆演劇において「見得」をきることが許されるのは、その劇団の花形役者だけでした。それは、「見得」をきるためにはその芝居、その劇団を背負うだけの力量と人気が必要だったからです。
つかこうへいの芝居においては、その役者の資質にあった「見得」を見つけるために、あの有名な「口だて」の稽古で、少しづつ台詞を変えながら繰り返し繰り返し稽古が行われました。
中屋敷の「見得」を成立させる方法論は、台詞を厳密に組み合わせて役者同士がより緊密に支え合う構造を作り出し、大上段の見得の連続を成立させていく、というようなものだと思います。それが、うまく回転してテンションが維持、上昇していけば、「絶頂マクベス」や、「無差別」のように面白いものになるし、歯車が何かの原因で狂えば、今回のように残念な結果になるということです。今回などは、頭からストーリーを早口の大声で説明しているだけにしか聞こえず、うんざりしました。
その中での救いは、他とスピードを合わさず自分のテンポを守り通した七味まゆ味と、「見得」を失敗するという荒技で輝いた岡田あがさの存在でした。あの二人がいなければ、90分の芝居がさらに辛いものになっていたことでしょう。
もう一人、ブルータスの奴隷、ルーシアスを演じた我妻三輪子も可愛かったです。私はどうも、狸顏で息が漏れているような喋り方の演技をする女優に弱いようです。

2013年2月4日月曜日

劇団宝船「撫で撫で」


2013年2月3日 14時30分開演 座高円寺
作:新井友香
演出:ペヤンヌマキ
出演:西牟田恵、黒田大輔、岩瀬亮、高松呼志響、川面千晶、佐久間麻由、島田桃衣、伊藤俊輔、山崎和如、川本直人、飯田一期、高木珠里
アラフォー女二人の、夢と希望と挫折を描く執念の2時間ドラマと言ったところだろうか。一人は、若い頃の不倫を清算し、周りから適当な男を見つけて高齢出産にチャレンジすることに執念を燃やす。もう一人は、若い頃と同じような恋愛を繰り返し、ダメ男ばかりとくっつく。
現実をそのままのサイズで芝居にすることを否定はしませんが、それには緻密な演出の計算と、とても力量がある役者が必要です。今回のこの芝居には、そのどちらもが不足していました。
感想は一言、「まるで、テレビドラマのような芝居でした。」テレビと違い、パンもクローズアップもできない舞台ですから、テレビ以下かもしれません。
個人的にも設定が現実的である芝居は、苦手です。突飛な設定や、エキセントリックな性格の登場人物がいた方が、感情移入もしやすいです。

フカイプロデュース羽衣「サロメ VS ヨナカーン」


2013年2月2日 19時開演 池袋東京芸術劇場シアターイースト
脚色・演出・音楽・美術:糸井幸之介
出演:深井順子、西田夏奈子、鯉和鮎美、大西玲子、伊藤昌子、中林舞、浅川千絵、岡本陽介、日高啓介、代田まさひこ、高橋義和、澤田慎司、加藤靖久、ゴールド☆ユスリッチ、藤一平、枡野浩一
七組のサロメとヨナカーンによる様々な愛のパターンの物語。雨が降り続く「ワイルド系の街」でいろいろな年代と立場の男女の愛が、オスカーワイルドのサロメの台詞をキーワードに繰り広げられていく。個人的にツボだったのは、おじさんと援交少女のボーリング場のシーンでした。
糸井幸之介の脚本の根底には、「人生はそんなに悪いものじゃない。」という信念があると思います。それが、見ている人を幸せな気持ちにさせるのだと思います。誰もが反対しそうにない信念ですが、押し付けがましくなく、かつ、卑屈にならずに表明するのは、結構むつかしいことですが、糸井幸之介は、それができる稀有な才能の持主です。
歌とダンスが多用されるミュージカルのような構成ですが、役者のスキルは、けっして高くありません。なかには音程をキープするのが精一杯の人もいました。それでも、白けることなく、楽しく芝居を見られるのはすごいことです。
最後に、上から吊るされた3000個のチュッパチャップスは、「飴」と「雨」のダジャレなのでしょうか。

2013年2月1日金曜日

サンプル+青年団 地下室


2013年1月30日 19時30分開演 駒場アゴラ劇場
作演出:松井周
出演:古舘寛治、奥田洋平、古屋隆太、辻美奈子、野津あおい、小林亮子、富田真喜、折原アキラ、たむらみずほ、森岡望、山内健司
観劇前に、まとめサイトで見た人の感想を読んでしまったのがよくなかったのでしょうか。
「怪しい共同体の生成と、変容と、崩壊。」
「客観的に見られず、気分が悪くなった。」
そのような感想が並んでいたのを読んでから見ました。
確かにその通りでしたが、それ以上でもそれ以下でもない芝居が淡々とながれて行きました。それに私は、引き込まれることもなく、大きく心を揺さぶられることなく、約2時間の芝居は終わってしまいました。オウム心理教の事件にインスパイアされて書かれたと思われる芝居ですが、あの事件から時が過ぎ、共同体幻想に無自覚に引き込まれる人間の弱さを、しっかり、客観視できるようになったということでしょうか。
チェルフィッチュの岡田利規が、twitterで、「初演の時に、心揺さぶられた自分がいて、今、再演を見て、心惹かれない自分がいることが面白かった。」と、つぶやいていましたが、初演を見ていない私も、同じような感覚なのでしょうか。