作 : 唐十郎
演出 : 蜷川幸雄
出演:古田新太、宮沢りえ、小出恵介、小久保寿人、大鶴佐助、松田慎也、堀源起、佐野あい、金守珍、木場勝己、大林素子、ほか
私にとって唐十郎の戯曲は,状況劇場の役者たちと分けがたくつながっているのだということを再認識させられた舞台でした。どの台詞も、李麗仙ならば、不和万作ならば、大久保鷹ならば、全く違って聞こえてきただろうという気持ちが抑えられず、舞台自体を楽しむことが出来ませんでした。この「盲導犬」は、状況劇場で上演されたことは一度もないので、私個人の勝手な思い込みに過ぎないのですが、致し方ありません。
桜社による初演はもちろん、ほかの団体による舞台も見ていないのに、このような感想を抱くのもどうかしていると思うのですが、それだけ、状況劇場のイメージが強いということでしょうか。
唐十郎の戯曲の魅力は、過剰にロマンチックな台詞と共に湧き出してくる雑多なイメージにあると思うのですが、今回の蜷川演出では、台詞のみにこだわってそれに伴うイメージを排除しているように見えました。それが役者の自由さをも封じ込めたため、金切り声の台詞がとびかうだけの寂しい舞台になってしまいました。蜷川演出の肝は、ビジュアルな演出にあると思っていた私には、納得できないものでした。
振り返って見れば、蜷川芝居を見たのは、「身毒丸」、「下谷万年町物語」、そしてこの「盲導犬」の最近の3本だけ、昔の作品は、劇評などから得たイメージだけなのですから、蜷川の変化に勝手に戸惑っているだけなのかもしれません。
桜社による初演はもちろん、ほかの団体による舞台も見ていないのに、このような感想を抱くのもどうかしていると思うのですが、それだけ、状況劇場のイメージが強いということでしょうか。
唐十郎の戯曲の魅力は、過剰にロマンチックな台詞と共に湧き出してくる雑多なイメージにあると思うのですが、今回の蜷川演出では、台詞のみにこだわってそれに伴うイメージを排除しているように見えました。それが役者の自由さをも封じ込めたため、金切り声の台詞がとびかうだけの寂しい舞台になってしまいました。蜷川演出の肝は、ビジュアルな演出にあると思っていた私には、納得できないものでした。
振り返って見れば、蜷川芝居を見たのは、「身毒丸」、「下谷万年町物語」、そしてこの「盲導犬」の最近の3本だけ、昔の作品は、劇評などから得たイメージだけなのですから、蜷川の変化に勝手に戸惑っているだけなのかもしれません。
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