2012年2月11日 15時開演 神奈川芸術劇場大スタジオ
構成・演出:三浦基
実は、この芝居は最初見る予定にしていませんでした。たまたま仕込中に覗いてみたら、とても変わった舞台装置だったので、これが芝居のなかでどう使われるのかを知るには、本番を客席で見るしかないと思い、慌ててチケットをとりました。
変わった舞台装置というのは、正面すべてが10センチ角の金属片で埋め尽くされていて、その金属片は上辺を死点としてぶら下げられていうだけで、後ろからの送風機の風でゆらゆら揺れるという「風を視覚化する」装置と、逆開帳の床の組み合わせというものでした。
逆開帳の傾斜はかなりの物で、客席から床は全く見えません。
ホリゾントと床の接するところも死角になっており、その隙間から役者が出入りするのも見えず、役者が立ち上がって初めてその存在がわかることになります。通常、黙認している登退場のタイムラグがゼロになるという不思議な感覚が味わえました。
「風を視覚化する」装置の方は、私には残念ながら成功していいるようには見えませんでした。送風機を回すと、金属片の動きは風というよりは波紋のようにしか見えませんでしたし、なによりも送風の音がうるさくて金属片の動きの変化より、音に気持ちが持って行かれます。録音した送風機の音を流して、金属片は動かないというバリエーションを作っていましたが、それもたいした効果を生んでいませんでした。
風を舞台効果として使うことは、前々から何度もいろいろな芝居で見てきましたが、すべてその音に邪魔されてうまくいったのを見たことがありません。
「風の視覚化」で私が思い出すのは、ずいぶん前の化粧品のコマーシャルで、画面一面の風車が左から右にさーっと回り出す場面です。もちろん、音はしません。あれほど鮮やかに、風の視覚化をとらえた例はほかにないと思います。
もちろん、映像だからできた技で、舞台では無理ですが。
さて、芝居の中身ですが、一言で言えば、「既存のテキストを解体・再構築して、新たな発声を与えることにより、新しいドラマを作り出す。」ということでしょうか?
実はこれは私が若い頃見た早稲田小劇場の「劇的なるものをめぐって」についていわれていたことですが、戦術は違えど、戦略的には同じものに思えました。
その成果がどれほどのものであったかは、私には正直わかりません。マイナスの地点から出発しなければならない悲しみや、まだ、何も成し遂げられていないという静かな絶望感は、ゆっくり心にしみていきます。
その気持ちを心に抱えたまま、観客は静かに劇場を後にします。
最後にどうでもいいことですが、ラストに出てきてほっとする雰囲気をかもしだした男の子は、演出の三浦さんのお子さんでしょうか?お顔がそっくりでした。
追記
後日知ったことですが、子役の子は演出家の甥御さんだそうです。
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