2015年10月26日月曜日

電動夏子安置システム「この中から3つ」

2015年10月21日 19時30分開演 下北沢ステージカフェ下北沢亭
脚本・構成・演出:竹田鉄士
出演:小原雄平、道井良樹、岩田裕耳、横島裕、新野アコヤ、片桐俊次、武川優子、渡辺美弥子
結成15年になる劇団ですが、変わった名前でチラシを見た記憶はあるのですが、それ以外は全く予備知識なしで見にいきました。
当日パンフによると、結成当初脚本の書き方も知らなかった主催者は、辞書から3つの言葉を適当に拾い出して、それを基に物語を作るということをしていたそうです。その無理矢理なストーリーを可能にするための設定や世界観を後付けすることで、変な喜劇ができあがることになったそうです。いってみれば、落語の三題話の演劇版でしょうか。
15周年にあたり、初心に戻って3つの言葉を選んでもらい、それを基に13編のショートストーリーができあがりました。
できあがった物を見てみると、確かに奇妙な設定やゆがんだ世界観を感じるのですが、だからといって面白いかといえば,そうでもない。小器用にまとめるある種の才能はあるとしても、だからといって全て面白くなるものでもない。という、ごく当たり前の結論にいなってしまいます。
役者では、「ある女」シリーズ3本で一人芝居を演じた渡辺美弥子が、見ている者の気をそらさない巧みな話術で面白かったのですが、ワンパターンなので3本も見せられると飽きてきます。

2015年10月20日火曜日

ペテカン「この素晴らしき世界」

2015年10月7日 19時開演 池袋あうるすぽっと
作・演出:本田誠人
出演:濱田龍司、齊田吾朗、四條久美子、羽柴真希、長峰みのり、添野豪、本田誠人、谷部聖子、小林健一、帯金ゆかり、長野真歩、市川喬之、柳家喬太郎、田中真弓、大治幸雄、桑原裕子
結成20周年になる劇団だそうですが、全く知りませんでした。ただ、桑原裕子がでているということで見にいきました。
桑原裕子は奮闘していて面白かったのですが、芝居としては面白くありませんでした。劇団のモットーは、「映画のような芝居を」ということで、これは難しいことはいわないで映画のように喜楽に見に行ける芝居をやりたいということだそうです。
難しいことは言わなくていいから、もっと、もっと面白くしてくれ。この芝居の料金は4000円です。普通の映画は1800円ですから、少なくとも2倍は面白くないと困ります。
だいたい、ラストにうまくもない楽器演奏で、「この素晴らしき世界」を演奏して、大団円と思うような感性は信じられません。
この芝居の収穫は、噺家の柳家喬太郎です。どのような経緯で出演することになったのかはわかりませんが、ひとつの芸を身につけた人の舞台上での存在感は、素晴らしいものがあります。周りがどうであれ、その存在感は揺るがない。古典芸能を身につけた人によく見られるリアリティがありました。
もう一人、動物電気の小林健一は敢闘賞でしょうか。前回見た拙者ムニエルでも敢闘賞もののがんばりを見せていましたが、今回も空回りする元気を面白く演じていました。

ロ字ック「鳥取イブサンローラン」

2015年10月6日 19時30分開演 下北沢シアター711
作・演出:山田佳奈
出演:堂本佳世、小林小倫、小川夏鈴、遠藤留奈、日高ボブ美、山田佳奈、那木慧、鈴木理学、圓谷健太、山田ジェームス武
一番印象的だったのは、ロ字ックの制作によるであろうTwitterのこの芝居の感想のリツィート攻勢でした。こまめにエゴサーチしてリツィートしているらしく,一時期、私のタイムラインは鳥取イブサンローランの感想であふれかえりました。それによると、「女性のいやなところを余すことなくさらけ出し、観劇後も体の震えが止まりませんでした。」とのことで、それだけ読むと大傑作のように思えます。
実際見てみると、それほどのととはないという感じです。確かに、「言いたいことはある。でも、どう言っていいかわからないまま、芝居にしてしまった。」というのが正しいところだと思います。
主人公の女性の「自分の性格のいやなところを考えると、うわーという感じになる。」という台詞などは、私が男だからもしれませんが、「なんじゃ、それ?」という感じにしかなりません。
決定的にまずいのは、手首を切って入院していたチーママ(山田佳奈)が復帰したウエルカムパーティーで、「私はこういう生き方しかできないから」という前置きつきで店の女の子達に「私のお客さんと寝ただろう。」と,問い詰めるシーンです。ここで今まで本音とお愛想が入り混じった生ぬるい空気が、一気に本音同士がぶつかり合う緊迫した空気に転換しなければいけないのに、山田佳奈の芝居が下手すぎてグダグタになり、壁をぶち破る激しい芝居も、段取りにしか見えなくなってしまいました。
当日パンフに作・演出の山田佳奈がご挨拶として、「初演の台本を読み返すと、ハチャメチャだったんだなと思う。行き過ぎた自意識と未熟な技量。パンクだった。自分のことを理解してくれない大人に,唾を吐く気持ちも強かった。でも、今は、そういう感情を忘れつつあるのです。葛藤することはまだまだ絶えないけれど、それでもいろいろ許すことができるようになりました。」と、書いています。
これを読んで芝居を見ると、初演の方が面白かったのではないかとさえ思えてしまいます。言いたいことを表現できる新しい方法論も見つけられないまま、年だけ取ったのかもとも思えます。

木ノ下歌舞伎「心中天の網島」

2015年10月5日 19時開演 こまばアゴラ劇場
作:近松門左衛門
監修・補綴:木ノ下裕一
演出・作詞・音楽:糸井幸之介
出演:伊東沙保、小林タクシー、島田桃子、武谷公雄、西田夏奈子、日高啓介、若松朋茂
洋の東西を問わず、古典を演じるのは難しいことだと実感しました。
杉原邦生があまり好きではないので見にいかなかった木ノ下歌舞伎ですが、今回、演出がFUKAI PRODUCE 羽衣の糸井幸之介であること、伊東沙保が出演していることで見にいきました。
今回の上演では現代語と七五調の台詞、さらに歌まであって、観客を楽しませてくれるのですが、問題は七五調の台詞です。役者に古典の素養があるか、もしくはそれに変わる何かがないと,ただ怒鳴ったり上滑りなったりするだけで、台詞が聞こえてきません。その点、合格なのは伊東沙保と武谷公雄の二人だけでそれ以外は全然だめでした。この差はひとえに役者の技量の差でしょう。
オープニングの歌で、丁稚役の若松朋茂が自分のソロパートの頭で大きく音を外して歌い出したときにはどうなることかと思いましたが、その後は何とか持ち直して進み出したときには、密かにほっと胸をなで下ろしました。
古典では、様々にディフォルメされたキャラクターをリアリティを持って演じることが要求されると思うのですが、七五調と現代語の入り混じったこの形式では、それがいっそう困難になっているようにも感じました。
一部では、この木ノ下歌舞伎の意義を高く評価する動きもあるようですが、私にはあまり意義が感じられませんでした。

清水宏「清水宏の世界で汗をかく!!〜アメリカ・カナダ・エジンバラ コメディーツアー奮闘記」

2015年9月30日 19時開演 渋谷シブゲキ
作・演出:清水宏
出演:清水宏
今年の夏4ヶ月にわたるアメリカ、カナダ、イギリスを股にかけたコメディーツアーの報告ライブでした。前日がアメリカ、カナダ編で、私の行った日はイギリスエジンバラ編でした。
冒頭で、今年からストーリーテリングというスタイルを始めたこと、そのストーリーテリングがアメリカ、カナダでは大受けで,カナダのあるフェスティバルでは賞まで取ったことを話し、エジンバラでの話に移ります。
5年目となるエジンバラでは油断と慢心とチラシの印刷が遅れるというアクシデントに見舞われて,さんざんだったことが延々と語られていきました。
すごいと思ったのは,聞くだけでも辛い話を長々と2時間も話して、悲しい話だけれども笑える話になっている,構成力と話術です。一人で2時間話し続けるだけでもすごいことなのに、山あり谷ありの構成で聞いてて飽きませません。
思いつきで話しているように見えますが、練りに練った台本があるに違いありません。
ラストは長いつきあいの映像作家との仲違いを語り、今後一緒にやっていくかどうかの選択を迫るというドラマチックな形で終わります。単に面白いだけでは終わらない、充実した2時間でした。
しかし、私が本当に好きな清水宏は芝居をしている清水宏です。本人は芝居のことを「愛しているけれども、憎んでもいる。」と言っていました。私にとっては、その芝居の中に完全には同化できないことにいらだちを感じ、また申し訳ないとも思いながら演技している清水宏を見るのが好きです。11月にカムカムミニキーナに客演するので、是非見にいこうと思っています。
最後に、どうでもよいことですが、清水宏は矢沢永吉によく似ています。本人も自覚があると思いますが、ふとした横顔や、しゃべり方がそっくりです。

2015年10月5日月曜日

カタルシツ「語る室」

2015年9月21日 18時開演 東京芸術劇場シアターイースト
作・演出:前川知大
出演:安井順平、中嶋朋子、盛隆二、大窪人衛、板垣雄亮、浜田信也、木ノ下あかり
イキウメの別働隊、カタルシツの公演を見にいきました。
これまでのカタルシツは一人芝居ばかりやってきて、モノローグの可能性を追求しているのかと思っていましたが、今回は7人が出演する普通にイキウメらしいSF的な設定の芝居でした。
これはイキウメの芝居の弱点、「SF的な設定のため、どうしても劇中で説明することが増えてくる、うまく台詞の中にちりばめられたときはよいが、往々にして説明のための台詞になってしまいしらけてしまう。」を解消するために、カタルシツで得た一人語りのノウハウを使ってみようとしたテスト公演ではないでしょうか。
結果は一定の成功を収めていて、そんなにしらけることもなく、スムーズに芝居は流れていきました。ただ、モノローグの得手不得手はあるようで、安井順平と占い師役の板垣雄亮は問題なくこなしていましたが、盛隆二や浜田信也あたりは少し辛いところもありました。もっとも、一人語りの向き不向き
は役のキャラクター設定とも密接な関係があり、いわゆるクールな性格設定の役は自分を客観視して話しても無理がありませんが、熱中系のキャラクターには無理が見えます。
これで一定の成果を上げたと見えるカタルシツは、今後どうなっていくのでしょうか?
カタルシツの次の公演はないかもしれません。

2015年9月21日月曜日

風琴工房「無頼茫々」

2015年9月16日 19時30分開演 下北沢ザ・スズナリ
作・演出:詩森ろば
出演:板倉チヒロ、吉増裕士、金成均、杉木隆幸、永山智啓、荒木秀智、栗原茂、酒巻誉洋、桑原裕子、今藤洋子、とみやまあゆみ、川村紗也、たなか沙織
前作「Plenty Killing」で痛快にして密度の濃い傑作を上演した風琴工房の次回作は、一転して社会派ドラマでした。再演だそうですが、当然、私は前回の公演を見ていません。
安保関連法案が成立しそうな時期で、国会前には連日大勢のデモ隊が押し寄せています。そんなときに、大正時代の言論の自由をめぐる芝居を上演するのは、タイムリーと言えばタイムリーなもかもしれません。
Twitterの感想で、誰かが「教科書を読むような」というようなことをつぶやいていましたが、問題はそこにあるように思えます。日本の芝居でこのような理念に関することを扱うと、台詞が具体的なことを語っているにもかかわらず、すべて説明的に聞こえてきます。これは、日本が理屈を述べるのに向いていないためか、役者の力量不足なのか、よくわかりませんが、延々と理屈を説明されている印象だけが残ります。
この芝居でもそうでした。本文にあたる部分では丁寧に具体的事実とそれに対する人々の気持ちを語り、転換では一転して音楽に合わせて楽しく,スピーディに進めて、メリハリをつけるという工夫にもかかわらず、残った印象は、2時間オーバーの説明大会というものでした。
イギリスやフランスの演劇では、「舞台で哲学や思想を語る」ことが好まれ、それを可能にする文学的な蓄積があるのですが、日本文学は情緒や叙情を語ることには長けていても、理論の語る歴史はあまりありません。そこら辺の差が、こういう芝居にも如実に表れているようです。

2015年9月17日木曜日

「PIPPIN」

2015年9月16日 14時開演 渋谷東急オーブ
S席で13000円という高額なチケットにかなり迷ったのですが、色々調べてみると結構よいメンバーで来日しそうなことや、今まで見たブロードウエイミュージカルの中でも、10本の指に入るほどの傑作を、もう一度見たいという想いが高まって行くことに決めました。
最後の決め手は、最前列のほぼセンターの席が取れたことです。
勢いついでに、出演者を知るために1800円も出してプログラムまで買ってしまいました。
プログラムによると、半数以上が2013年のブロードウエイ再演に出演経験者であり(さすがに、オリジナルキャストはいませんでしたが)チャールズを演じたジョン・ルービンスタインは、なんと初演のピピン役のオリジナルキャストでした。
2013年版のプロデューサー陣にキョードー東京が参加しており、思えばこの日本公演を見据えての出資だったのでしょう。
私がブロードウエイで見たのが2014年の10月で、どうしてもその時の印象と比べてしまうのですが、アクロバットやダンスなど、言葉によらない表現は気にならないのですが、言葉を使う芝居の部分が弱いと感じました。これは、字幕が出るために、どうしてもそちらを見てしまい、舞台に集中できないという状況のせいもあると思いますが、それだけではないと思います。
このミュージカルの一応の主役であるピピンは、一座の新人役者であるという設定があるのでカリスマ性や高度な演技力をそれほど要求されません。代わりに、リーディングプレイヤーにお話しを引っ張っていくだけの魅力が必要となり、それを支えるために緻密なアンサンブルがアクロバットプレーヤーも含めて必要になってきます。そのアンサンブルが弱くて、その分、個人技が悪目立ちしがちでした。特に、リーディングプレイヤーはブロードウエイでは小悪魔的な魅力に溢れて魅力的でしたが、日本版は小悪魔と言うよりは口うるさい女教師のようで、後半のキャサリンへのだめ出しが本当はピピンへのいらだちの表れであるはずなのに、単なる下手なキャサリン役者へのいじめのように見えてしまうとろなどがあり、少々、残念でした。
とはいえ、傑作ミュージカルであることは変わりありません。
機会があれば、また、是非みたいです。

2015年9月12日土曜日

表現さわやか「TanPenChu−」

2015年9月7日 19時開演 赤坂レッドシアター
作・演出:池田鉄洋
出演:鈴木砂羽、岩崎う大、槇尾ユウスケ、梅船椎永、浅野千鶴、大夢、佐藤真弓、いけだしん、岩本靖輝、池田鉄洋
Good Morning No.5と同じ年一興行の表現さわやかを見にいきました。クリエの公演の時も思ったのですが、池田鉄洋という人は、結構器用というか頭のいい人で、会場や出演者に合わせて、見せ方をうまく変えて演出できるところに感心しました。基本の、実にくだらないことはしっかり守りながら、少し味付けを変えて上品そうに見せる。表現さわやかを知っている人には基本は全く変わってなくてくだらないまま、ゲスト出演の多い今回や、いつもと違うクリエのお客さんにも、そんなに抵抗なく笑ってもらえる、そこら辺のさじ加減が実にうまいです。描くシーンのコントの寄せ集めでありながら、何となくストーリーがつながっているように見えるのも、飽きなくていいです。

Good morninng No.5「世界征服ナイト」

2015年9月5日 19時開演 下北沢OFFOFFシアター
作・演出:澤田育子
出演:岸本卓也、塩田康平、白柏寿大、藤田記子、澤田育子、境秀人、石田周作、稲垣潤一、佐藤貴史
Good morninng No.5の年一興行の二本目は、珍しく藤田記子、澤田育子の二人以外は男優7人で繰り広げられるドタバタコメディでした。
作品的にはこちらの方がはるかに楽しめました。ストーリーはあってなきがごとしで、そのシーン、そのシーンの役者の立ち振る舞いを単純に楽しめばよい、という感じでしょうか。私のイメージするGood morninng No.5らしいと言うことだと思います。
限られた時間で日本の演目をやるのは、時間的にも体力的にも難しいと思います。
片方は、芝居としてやり、もう片方をバラエティ的にやるという方針は、わからないでもありませんが、私的には、両方バラエティでいって欲しかったです。

Good morninng No.5「breakfast, kani」

2015年9月5日 14時開演 下北沢OFFOFFシアター
作・演出:澤田育子
出演:藤田記子、澤田育子、久保田南美、佐々木彩、MINAKO
年に一度のGood morninng No.5の公演、今年は2本立てでした。一本目は、女優5にんによる「breakfast, kani」でしたが、残念ながらあまり面白くありませんでした。私がGood morninng No.5で楽しみにしているのは、芝居が役柄に収まりきらず、素が時々見えてしまうところです。それからいうと、この演目はお芝居お芝居しすぎていて、あまり楽しめませんでした。
「高校時代、女優倶楽部というわけのわからない遊びをしていた二人が、卒業後、いじめていた方は売れないピン芸人になり、いじめられていた方がその専属作家になる。やがて、作家hネタにつまって書けなくなり、偽装自殺を図る。」
うまくひねりを加えたらいくらでも面白くなりそうな設定も、ストレートにやってしまっていて、ピン芸人役の藤田記子のがんばりが痛々しいだけに終わってしまっているのが残念でした。

2015年9月7日月曜日

サムゴーギャットモンティブ「さよならサムゴー〜いつかはギャットモンテイブ」

2015年9月3日 19時30分開演 新宿SPACE雑雄
作・演出:山並洋貴
出演:石川いつろう、片腹年彦、川上ルイベ、近藤丼、杉田有司、田島慶太、福田神德、安田侃司、吉成豊、石原みゆき、木野真白、佐野恭代、澤崎妙、篠原希帆、高橋エリカ、田島冴香、田中渚、中村倫子、永山千晶、年代果林、三澤久美、関大輔
劇団名(正しくは山並洋貴の個人ユニットのようですが)のおもしろさと、下ネタ満載というチラシの文句に惹かれて見にいきました。
ちなみに、サムゴーギャットモンティブというのはキックボクサーの名前からきているようです。
22名の高校生の夏休みのさまざまなエピソードが語られていきます。他愛のないもの、シリアスなもの、ドラマティックなもの、最初はさりげなく、話が進むにつれて演出的にも盛り上がる形で展開していき、その筆力、演出力はかなりのものです。しかし、役者が下手では話になりません。そこいらの安い学園ドラマをみているような気になります。演出を考える前に役者の演技力を何とかして欲しい、そこにこそ力を注ぐべきではないかと思ってしまいます。まあ、劇団ではない個人ユニットでは限界があるのかもしれませんが。
話を盛り上げてうまくまとめる力はあるのですが、安いテレビドラマではないなにかがないと舞台では面白いとは言えないと思います。もしかしたら、それが下ネタ満載だったのかもしれませんが、今回は下ネタらしい下ネタもなく、決定力不足ということでしょうか。

2015年9月3日木曜日

「転校生」

2015年9月1日 19時開演 六本木ZEPPブルーシアター
作:平田オリザ
演出:本広克行
出演:逢沢凜、秋月三佳、芦那すみれ、生田輝、石山蓮華、石渡愛、伊藤優衣、伊藤沙莉、今泉玲奈、折館早紀、川面千晶、堺小春、坂倉花奈、桜井美南、清水葉月、多賀麻美、永山香月、藤松祥子、南佳奈、森郁月、吉田圭織
客席に入ると、舞台にはスクール机と椅子が並び、正面奥には役者達が座っている控え椅子がずらりと並んでいました。その上には大きなスクリーン、上下にも一回り小さなスクリーンがぶら下がっています。舞台前方には白い窓枠が上下にひとつづつ吊られていました。見た途端にいやな印象を持ちましたが、始まるとそれは最悪の形で現実の物となりました。なんと、正面スクリーンには一部では有名なあの平田オリザの3段台本が投影され続けるのでした。ご丁寧に今喋っているところが、明るくなってどの台詞をいっているのかすぐにわかる工夫までされていました。上下のスクリーンには、上袖、下袖のカメラからのアップがずっと映されていました。
確かに平田オリザの3段台本は会話同士が重なることがよくあり、台詞が聞き取れないこともあります。その対策としての親切心からの演出なのかもしれませんが、私は最後まで舞台に集中できず、最悪の観劇経験になりました。
できることなら、演出の本広克行に詰め寄って釈明を求めたいほどです。
21年前の初演も見ているのですが、会話がかぶって聞き取れないことなど全く気にならず、彼女たちと一緒の教室にいて微妙な心境の変化をともに感じ、ラストシーンの触れるか触れないかぎりぎりの指先に将来への不安を感じて涙したのに、今回のようにがっちり握手されて、その上それを天井からのカメラでクローズアップにされては台無しです。
KAATの大石さんが言っていたように、「映画監督が舞台の演出をすると、絵に落とし込んで解決しようとする。」、その最悪の例がこの芝居だと思います。
1400名あまりが参加したオーディションを勝ち抜いてきた21名の若い女優にとっても、不幸な出来事と言うしかありません。

2015年9月2日水曜日

泥棒対策ライト「みぞおちララバイ」

2015年7月31日 14時開演 上野ストアハウス
作・演出・振付:下司尚美
出演:金川周平、川尻麻美夏、近藤彩香、佐々木富貴子、野口卓磨、萩原亮介、的場祐太、下司尚美
ダンスの公演が苦手な私が積極的に見に行こうと考える梅棒と、もうひとつの泥棒対策ライトの公演を見にいきました。前回は、結構シリアスよりな内容で困りましたが、今回も後半シリアスで疲れました。
前半は、コントというか小さな芝居とそれから派生するダンスという構成で、面白かったのですが、後半はダンスの連続で,私の集中力が続きませんでした。
きっと、根が真面目な下司直美が、余裕がなくなって地の真面目さが露骨にでてしまったのでしょう。
次回公演を見にいくか簿妙なところです。

梅棒「クロスジンジャーハリケーン」

2015年8月29日 19時15分開演 俳優座劇場
作・総合演出:伊藤今人
脚本助手:梅澤裕介
振付・監修:梅棒
出演:遠山晶司、天野一輝、大村紘望、塩野拓矢、遠藤誠、鶴野輝一、飯野高拓、櫻井竜彦、梅澤裕介、伊藤今人
オープニングのDJのお悩み相談のはがきが妙にシリアスで、どうなることかと少し心配しましたが、場面が進むごとにネタが炸裂する怒濤の展開で笑わせていただきました。「内容は一切ないがただただ面白い」ことは現代の日本では貴重な集団だと思います。
要するに、「JAZZ DANCEによる大衆演劇」とでも呼べばよいと思います。この先も息切れしないで、少しでも長く続いてくれることを祈るばかりです。

KUNIO12「TATAMI」

2015年8月29日 14時開演 神奈川芸術劇場大スタジオ
作:柴幸男
演出:杉原邦生
出演:森下亮、武谷公雄、大石将弘、亀島一徳
「わが星」という傑作を書いた柴幸男の新作脚本と言うことで見にいきました。演出の杉原邦生にに関しては、木ノ下歌舞伎の演出を何本もやっていて古典を現代風に演出する人という程度の認識しかありませんでした。実は、何年の前のT-PAMで演出した作品につきあっているのですが、その時の印象は、「乱雑、うさんくさい」というようなあまりいいものではありませんでした。
そのため、ほとんど期待しないで見にいったのですが、おもいもかけず面白いものでした。
ただ、その面白さの大部分は、柴幸男の脚本と主人公のタタミ屋を演じた武谷公雄の演技力によるものです。杉原邦生自身による美術や演出は、全てをたたんで何もなくなった情景を表すのに,わざわざバトンに大きな白布を吊して見せたり、声をたたんだ主人公の内面の声を聞かせるために小さなスピーカーを寝ている主人公の上に下ろして見せたりするようなあざといものが目立ち、芝居の邪魔をしているようにさえ見えました。
極めつけは、ラストシーンで息子が天から降ってきたロープを引くと金ラメが降ってくる演出で、完全にいらないシーンでした。

DULL-COLORED POP「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」

2015年8月29日 10時開演 王子スタジオ1
作・演出:谷賢一
出演:大原研二、東谷英人、堀奈津実、深沢未来、塚越健一、渡邊りょう、中村梨那、百花亜希
今まで谷賢一の作・演出の芝居を何本か見てきましたが、一番面白かったです。
家族のためを思ってがみがみ言ってきたお母さんが、お父さんの突然の事故死をきっかけにその欺瞞と矛盾が表面化して,心身症すれすれになっていく。そのおかあさんの心情を黒猫とベージュ猫が無邪気な形で語っていく。どこの家庭でもありそうな風景がリアルにくっきりと浮かび上がります。ひとつ残念なところは、お母さん役の大原研二ががんばりすぎで、お母さんの存在の痛々しさなのか、演技のがんばりすぎの痛々しさなのかよくわからなくなるところでしょうか。

「気づかいルーシー」

2015年8月26日 19時開演 東京芸術劇場シアターイースト
原作:松尾スズキ
脚本・演出:ノゾエ征爾
音楽:田中馨
出演:岸井ゆきの、栗原類、山中崇、小野寺修二、川上友里、山口航太
松尾スズキの絵本を基にノゾエ征爾が脚本・演出した一応子供向けの芝居ですが、残念ながら失敗作と言わざるをえません。岡田利規の「わかったさんのクッキー」の時にも思ったことですが、子供に対して礼儀正しすぎるのだと思います。
子供向けと思われるデフォルメされたキャラクターを役者たちは一生懸命演じているのですが、その演じているというところがネックになって子供たちの心に響いていかないように見えました。逆に最初の栗原類の登場は皆の期待を集めた大きなバルーンという扮装で、全く意味のない演技に終始して面白かったです。その栗原類も、王子の皮を被ったおじいさんという設定になると,普通に演技し始めて面白くなくなります。
子供とその付き添いの大人両方にわかる芝居をと考えてのかもしれませんが、結果、虻蜂取らずになってしまいました。

子供鉅人「真昼のジョージ」

2015年8月22日 14時開演 新宿サンモールスタジオ
作・演出:益山貴司
出演:影山徹、益山寛司、億なつき、キキ花香、山西竜矢、ミネユキ、益山U☆G、益山貴司、吉田カルロス、小林義典、久保田武人、岩坪成美、新藤江里子
大道具、小道具、かつら、衣装の一部まで全てダンボールでつくるという思いきった試みでしたが、残念ながら失敗作と言わざるをえない結果となりました。
表に荒野の絵、裏面にダンボール工場の絵を描いた切り出しをはじめ全てが説明でしかなく、予算節約のためにダンボールを採用したとしか思えませんでした。説明台詞の異常な多さもあいまって、うるさすぎる舞台は全く耳に入ってきません。
前回見た「ハローヘル」のようなぶっ飛んだ発想も陰を潜めて、金の切れ目がアイディアの切れ目と言う感じです。ダンボールのセットが悪いわけではなく、ダンボールを使う必然が全く感じられませんでした。

砂地「唄わない冬」

2015年8月21日 19時開演 新宿Space雑遊
作・演出:船岩祐太
出演:小瀧万梨子、今國雅彦、梅村綾子、井手麻渡、松本光生
劇団のTwitterに「今日からミザン稽古です。」というつぶやきがありました。「ミザン」という知らない言葉を検索してみたところ正しくは「ミザンセーヌ」というフランス語で、ウィキペディアによれば「演劇界および映画界において用いられる表現であり、おおまかに「作品の筋、登場人物を作り出すこと」を表す語である。「演出」の訳語があてられる。もとは演劇から発生した言葉であり、字義通り訳せば「舞台に置くこと putting on stage」の意である。」と言うことでした。これを信じれば、「演出稽古」と言うことになりますが、そのほかの検索結果もふまえて考えると、役者の立ち位置などを整理して演出意図を明確にする稽古のようです。
この芝居は登場人物5人のうち3人が死んでしまっているところから始まります。芝居の流れは現実どうり未来に向かっていく流れと、過去にさかのぼっていく流れが交互に現れます。死んでいる3人には死者のポジションとでも言うべき立ち位置が壁際に各々あり、基本的に喋らないときはその場所にいます。それが芝居の構造を明確にするのにかなり役立っていますが、それがミザン稽古の成果でしょうか。
この芝居のポイントは、死んでしまう主人公の女の心の空虚さです。その空虚さを埋めるため自分勝手に他人を引きずり込んだり、過度に他人に依存したりしていきます。結局、その空しさは埋まることなく死んでいくことになります。
砂地の芝居の魅力は、演劇の理論的な研究から来る折り目正しさだと思います。その折り目正しさが、他の小劇場演劇とは全く違う肌触りとして一種独特の雰囲気を醸し出しています。