2013年4月26日金曜日

泥棒対策ライト「あ~あ」


2013年4月25日 20時開演 吉祥寺キチム
振付・演出 : 下司尚美
出演:大庭裕介、近藤彩香、佐々木冨貴子、白倉裕二、下司尚美
ダンスの公演は、その独特のストイックな雰囲気が苦手で積極的に見にはいかないのですが、この公演は急に入ってきた仕事の都合で、観劇のスケジュールを組み直さなければいけなくなった時に、チラシを見て一発で見に行くことを決めました。「あ~あ」という脱力感満載のタイトルのせいかもしれません。結果はとてもゆったりした気分のまま、楽しく1時間を過ごすことができました。これは、振り付け・演出の下司尚美の肝っ玉母さん的な人柄からくるところが大きいと思います。本人自ら、客入れを行い、トイレの心配をし、前説までして、そのまま、本番になだれ込むという大活躍でした。出演者も、ダンスのトレーニングをしていたのは近藤彩香ただ一人で、残りは、下司を含めて正式なダンスレッスンを受けたこともない役者ばかりでした。ダンサーとしてみると、決してうまくはないが、それぞれの頑張りと解釈で踊っていて、面白かったです。特に、背が小さく手足も短い佐々木富貴子が、踊れていないなりに、がんばって工夫している姿は、面白かったです。また、それを良しとしてうまくまとめた下司の力量はたいしたものです。会場も、劇場ではない地下のカフェで、客とダンサーの距離が近く、それが否応無く一体感を醸し出して、楽しめました。
前日に見た「レミング」が、この何十倍ものコストと人間を動員して出来上がっていたのと比べても、満足度としては、こちらの方が上でした。

「レミング」


2013年4月24日 14時開演 渋谷パルコ劇場
作 : 寺山修司
演出 : 松本雄吉
出演:八嶋智人、片桐仁、常盤貴子、松重豊 他
寺山修司の言葉が未だに古びていないことが確認できた芝居でした。唐十郎の言葉が、まだ見ぬロマンスを語る言葉だとすれば、寺山修司の言葉は、存在しないノスタルジーを語る言葉だと思います。ただ、ロングコートに山高帽で舞台を上下に行進するコロスたちは、その言葉とは明らかに異質でした。維新派の舞台を見たことのある人によれば、あのコロス達は「とても、維新派風」なのだそうです。コロスのストイックな動きは、過剰なまでにロマンチックでノスタルジックな寺山修司のイメージを拡大するためには、決して役立っておらず、静かな異物としてなぜかそこにあるという感じでした。

水素74%「半透明のオアシス」


2013年4月23日 19時30分開演 三鷹市芸術文化センター
作・演出 : 田川啓介
出演:斎藤淳子、浅野千鶴、兵藤公美、斎田恵子
知人から面白いと噂を聞いて、見に行きました。私の中では、「青年団系」と分類される人のプロデュースユニットです。
見て、なぜ私が「青年団系」の芝居を積極的に見にいかないのか、その理由を再確認しました。
いわゆる「現代口語体演劇」とか、「静かな演劇」と呼ばれる芝居は、一見、素材の味を重視したほとんど調理しない料理のように見えますが、実際には余分な台詞を排除し、なにげない台詞を目的に向かって厳密に並べていくという、かなり高度な脚本力、演出力、役者の演技力が必要となってきます。そのどれかの不足を補おうと自分なりのスパイスを効かせると、ただのよくある芝居になってしまいます。しかも、基本的に抑制された芝居ですから、脚本や演出の意図しない、役からはみ出してしまう役者の個性とか、とちった時の役者の素の部分とかを見る喜びは、ほとんど期待できません。
また、「静かな演劇」では、背景もかなり重要です。その芝居のおかれている社会情勢なり、心理的な背景が見えてこないと、単なる家庭内の愚痴の言い合いにしか見えなくなる危険性が常に存在します。
この水素74%の芝居も、残念ながらそのようなつまらない「現代口語体演劇」の一つでした。

庭劇団ペニノ「大きなトランクの中の箱」


2013年4月23日 19時30分開演 森下スタジオBスタジオ
作・演出・美術:タニノクロウ
出演:山田伊久磨、瀬口タエコ、島田桃依、飯田一期
マンションの一室をアトリエにして様々な作品を作ってきたらしい劇団が、老朽化によるマンション取り壊しに伴い、始めて外部で発表するはこぶね作品(箱舟とはアトリエの名前らしいです)の、第一作ということでした。スズナリの半分程の広さのスタジオに60名分のひな壇客席と、幅二間、高さ9尺ほどの額縁舞台をわざわざ作っての公演でした。額縁にはもちろん目的があって、それは、盆回しで四つの部屋を転換するためでした。しかも、そのうち二つは二階建て。ある意味、驚愕の舞台装置でした。
物語は、エディプスコンプレックスをそのまま芝居にしたようなストーリーで、ペニスのオブジェや、射精を思わせるシーンがふんだんに出てきます。普通の劇場であれば白けてしまうと思われますが、あの狭い空間では観客も共犯意識を知らず知らず持ってしまうので、白けることもありませんでした。
何より面白かったのは、あの空間を選び、執拗なまでにこだわった芝居つくりをした演出家の執念でした。偏執狂とも思えるこだわりは、怖いほどでした。

2013年4月21日日曜日

iPadでブログ編集

iPadを購入した目的の一つは、Macを使わずにiPadだけでブログの編集をすることでした。
買ってすぐにトライしてみましたが、なぜかログインはできるもののその先に進めず、あきらめていました。ところが、先ほど何の気なしにiPadからログインしてみたところ、するすると編集画面までいけてしまいました。前回は、何がいけなかったのでしょう。全くわかりませんが、終わり良ければすべて良し。大きな前進です。
今までのブログ編集の流れは、
1.iPhoneかiPadのメモで,文章を入力。
2.写真は、iPhoneで撮って、iPhotoに保管。
3.Macから、iCloud上のメモにアクセスして、文章をコピーペースト。
4.写真は、Mac上でPhotoshopでトリミングして、アップロード。
というものでした。
下書きはiPadでできるが、編集、アップロードにMacが必要でした。
それができることがわかったので、後はiPhoneからiPadに写真を持ってくる方法だけです。
それもWebで検索したところ、いろいろな方法があることが簡単にわかりました。様々な方法を比べて見ましたが、私の目的にはDropboxを経由するのが一番向いているようです。「設定」の「プライバシー」の「写真」のDropboxの項目をONにするだけで、アップロードダウンロードが簡単にできます。後は、iPadのPhotoExpressでトリミングすれば、OKです。
これで、どこでもインターネットにつながりさえすれば、ブログの更新ができます。
と思って、iPadでトライして見ましたが、Web上での写真のレイアウト変更がうまくできませんでした。結局、最後はMacからアクセスし直して、レイアウト調整を行いました。ここをクリアできれば、当初の目的が達成できるのですが、さらなる研究が必要なようです。
ちなみに、この文章も、iPadからアップロードしてみましたが、Web上でコラム内のスクロールがうまくいかず、結局、Macから編集しました。

Straw&Berry「マリア」


2013年4月17日 19時30分開演 王子小劇場
作・演出:河西裕介
出演:野田祐貴、百花亜希、鮎川桃果、金丸慎太郎、松澤匠、野田滋伸、佐賀モトキ、岡野康弘、岩本えり
手書きをそのまま印刷したようなチラシに惹かれて見にいきました。「絶望」と「再生」をテーマだと言っていますが、中身は明らかに神聖かまってちゃんのの子をモデルにした躁鬱病のバンドマンのわがままいっぱいの恋とセックスと失恋の話で、この年になると全く共感できるところがありません。輪をかけてわからないのが、「おまけ演劇」の「会沢ナオトインティライミ」です。「愛は地球を救う」と称してわけのわからない寸劇が上演されましたが、あれは何だったんでしょうか?
お客さんへのサービスのつもりでしょうか?こっぱずかしい芝居をしてしまったことの照れ隠しでしょうか?
私には全く理解できませんでした。
二度と見に行くことはないでしょう。

2013年4月14日日曜日

犬と串「左の頬」

2013年4月10日 19時30分開演 シアター風姿花伝
作・演出:モラル
出演:鈴木アメリ、二階堂瞳子、満間昂平、藤尾姦太郎、一色洋平、堀雄貴、石黒淳士、宮本初、萩原達郎
犬と串の鈴木アメリと、昨年解散したバナナ学園の二階堂瞳子のW主役なんですが、二人とも全く可愛くない。まず、それが残念でした。しかし、最大の残念はくだらないことを貫徹できなかったことです。くだらないことを、僕たちはこれがくだらないことだとわかってますけど、やります。という意識が見え隠れするところが、最大の残念でした。くだらなかろうがなんだろうが、これだと信じてやり抜く意思と熱意、それこそがくだらないけれど面白い芝居を作るのに、それをするには頭が良すぎるのでしょうか?
結局、よくある若者のダジャレ芝居になっていました。
次回作は、見ないと思います。


2013年4月8日月曜日

iPad 4


去年の12月にiPadを購入しました。
購入は前々から考えていたことですが、iPhone 5にしてテザリングができるようになったこと、iPadにもRetinaディスプレイが乗ったことが最後の購入動機となって、Applestore渋谷店に飛び込みました。
考えてみれば、iPhone 5にしたのも前に使っていたiPhone 4を間違ってiOS 6にアップグレードした結果、動きが緩慢になったのに耐えきれなかったせいでした。見事に、Appleの術中にはまったというべきでしょう。iPad購入の最大の目的は、夏に向けてハンモックに寝っ転がりながら、ウエブブラウズしたり、映画を見たり、読書をすることでした。また、外出時も、MacBookより手軽に持ち運んで芝居の感想を書いたり、ブログの更新もできればしたいというものでした。
買ったのは、64GBのWi-Fi専用の黒です。Wi-Fi 3G兼用は、テザリングできるし、LTEにはつながらないし、月々5000円払うのは、たまにしかつなげないのにもったいなさすぎると思って、最初から眼中にありませんでした。
約、4ヶ月使って見ての感想は、このサイズ、この重さでは、まだまだ大きいし、重すぎるというものです。
寝っ転がって使うには、手で支えているのには重すぎでした。すぐに手がくたびれてしまいます。
外出時には、やはり、直に電話回線につながらないのは、不便です。テザリングは、結構めんどくさいです。また、ブログの更新も今のところ成功していません。
結論としては、あれば便利だけれど、なくても大丈夫という感じです。
私の外出時の理想は、iPad Miniのサイズで、LTEにも対応したiPhoneです。そう思われている人も少なくないと思いますが、Appleはわかっていてもそんな機種は出さないでしょうね。自分のマーケットを荒らすだけで、パイが増えるわけではないですから。
とりあえず、夏までに、フレキシブルアームのついたiPadのスタンドを探しています。

ブルドッキングヘッドロック「少し静かに」

2013年4月4日 19時開演 下北沢ザスズナリ
作:喜安浩平
演出:西山宏幸
出演:山口かほり、帯金ゆかり、はしいくみ、星原むつみ、津留崎夏子、宮下雄也、嶋村太一、深澤千有紀、寺井義貴、篠原トオル、福原充則、喜安浩平、永井幸子、根本宗子、小島聴、藤原よしこ、岡山誠、猪爪尚紀
元バンドマンの劇団主催者が、本公演23本目にして初めての演出というチラシの裏情報に惹かれて見にいきました。
様々な演出上のアイデアに溢れた舞台でしたが、そのために芝居の焦点がぼけて、上演時間が延びただけの結果に終わっていました。
例えば転換ですが、セットが写実的ななため、転換しなければならない小道具が山のようにありました。それを役者達がシルエットの中、音楽に合わせて、踊りながら転換する。上手の壁には時間経過を表す日付が投影される。気詰まりな転換時間を少しでも面白いものにしようという考えでしようが、役者の動きが計算され尽くされていないので、へんにワサワサした落ち着かない時間になっていました。
芝居のテーマとしては、人と人のコミュニケーション、関わり方の難しさでしたが、ラスト、テルミンが故障して、偶然すべての人がつながってしまうのは、あまりにも御都合主義ではないでしょうか?その疑問を打ち消すためか、オーストラリアかニュージーランドのオールブラックスが試合前にやるアボリジニの戦いのダンスを全員でやるのですが、疑問は減るどころか、増えるだけでした。
芝居の楽しみの一つに前見た芝居に出ていた役者が、今回は別のキャラクターで出ているのを見ることがあると思います。今回は前々から気になっていた役者が多く出ていたので、その面では楽しかったです。
役者は面白かったが、芝居は残念というところでしょうか。

テアトル・ド・アナール「従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行“─およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない”という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語」

2013年4月3日 19時30分開演 駒場アゴラ劇場
作・演出:谷賢一
出演:伊勢谷能宣、井上裕朗、榊原毅、西村壮悟、山崎彬
手で書いたら間違えずに書き写すことが不可能なほど長い題名が、すべてを言い表しているような芝居でした。しかし、それは中身がないという意味ではなく、それにふさわしい内容の充実した芝居でした。始めて谷賢一の作・演出を見たのは、俺とあがさと彬と酒とというプロジェクトによる「マクベス」でしたが、その時の印象は、「若さゆえの勢いと未熟さ」でした。しかし、今回はうってかわって大人な感じのがっしりした思考実験にも似た落ち着いた芝居に仕上がっていました。
第一次世界隊のオーストリアの最前線の兵舎という生と死が隣り合っている場所で、人間の様々な本性がむき出しになっていく中で哲学的考察を続けるウィトゲンシュタインが、有名な命題「およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」にたどり着く過程を、イギリスにいる友人の亡霊との対話や、周りの兵士たちとの対立を通じて、わかりやすく描いて行きます。
実に見応えのある105分間でした。
悪い芝居の中では、少し嫌味に感じる山崎彬の芝居も、今回のアンサンブルの中では、即物的な人間性の迫力として感じられ、好演でした。
谷賢一としては、「語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」という言葉の後に、「語り得ぬことを語るのは、芸術の仕事だ。」と、続けたかったのだろうと思います。

2013年4月4日木曜日

2013年第一四半期観劇のまとめ


1月3日 「新年工場見学会2013」
1月8日 「100万回生きた猫」
1月9日 ぬいぐるみハンター「ゴリラと最終バス」
1月10日 東京デスロック「東京ノート」
1月12日 生前葬「笑ってタナトスくん」
1月13日 長塚圭史「音のいない世界で」
1月19日 ナカミチ円陣「三人獅子舞」
1月19日 30 Years Godot「ゴドーを待ちながら」
1月20日 マームとジプシー「あ、ストレンジャー」
1月23日 毛皮族「ヤバレー、虫の息だぜ(仮)」
1月24日 タカハ劇団「世界を終えるための会議」
1月25日 トムプロジェクトプロデュース「熱風」
1月26日 砂地「Disk」
1月30日 サンプル+青年団「地下室」

2月2日 羽衣プロデュース「サロメ VS ヨナカーン」
2月3日 劇団宝船「撫で撫で」
2月25日 柿食う客「発情ジュリアスシーザー」
2月26日 ナイロン100℃「デカメロン21あるいは男性の好きなスポーツ」
2月27日 鹿殺し「BONE SONGS」
2月28日 扉座「つか版・忠臣蔵」
2月28日 レモンライブ「トリオ」

3月5日 KAKUTA「秘を以て成立とす」
3月12日 月刊根本宗子「今、出来る、精一杯。」
3月14日 松尾スズキ「マシーン日記」
3月15日 ワワフラフラミンゴ「馬のリンゴ」
3月25日 MONO「うぶな雲は空で迷う」
3月26日 悪い芝居「キャッチャーインザ闇」

2013年の第一四半期は、1月 14本、2月7本、3月6本で、計27本。1月は暇だったので、大量に芝居を見ることができました。しかし、チラシの印象だけで見ず知らずの劇団を見にいくと、ハズレの芝居に出会うこともよくあることで、そんな芝居が2、3本続くと、劇場に行くことさえ辛くなったりします。やはり、芝居は間を開けて、体調も万全で心に余裕がある状態で見たいものです。
幸いなことに、面白い芝居も何本もありました。到底ベストスリーに絞れないので、面白かった芝居を列記したいと思います。
1月8日 「100万回生きた猫」
1月13日 長塚圭史「音のいない世界で」
1月20日 マームとジプシー「あ、ストレンジャー」
1月25日 トムプロジェクトプロデュース「熱風」
1月26日 砂地「Disk」
1月30日 サンプル+青年団「地下室」

2月2日 羽衣プロデュース「サロメ VS ヨナカーン」
2月27日 鹿殺し「BONE SONGS」
2月28日 扉座「つか版・忠臣蔵」
2月28日 レモンライブ「トリオ」

3月14日 松尾スズキ「マシーン日記」

以上、11本でした。
ざっと見渡すと、若手の小劇場の劇団に混じって、中堅の劇団や一般的に評価されている劇作家が入っていることが今期の特徴でしょうか?
長く続けているにはそれなりの理由があるわけですし、一般の評価もそんなに間違っているわけでもなさそうです。問題は、それらの劇団の料金が若手に比べて高いことです。そちらに照準を合わせていくと、財布が持ちません。懐具合と相談しながら、見る劇団を選んで行きたいと思います。

2013年4月2日火曜日

悪い芝居「キャッチャーインザ闇」



2013年3月26日 14時開演 王子小劇場
作・演出:山崎彬
音楽 : 岡田太郎
出演:池川貴清、植田順平、大川原瑞穂、北岸淳生、呉城久美、宮下絵馬、森井めぐみ、山崎彬、大塚宣幸、田川徳子、福原冠
MONOに続いてこちらも2回目の観劇でした。「目が見えるようになると、見えなかった時に見えていたものが見えなくなる。」を合言葉にした、「夢をみる。夢を見続ける。」ことについての芝居でした。
前回の「カナヅチ女、夜泳ぐ」では、漠然とした目標はあるものの、そこにどのようにたどり着いたらよいかわからず、手探りで闇雲に進んでいるような印象でしたが、今回は目標にたどり着く方法はわかったつもりなのだが、思っているようには進めない、その焦りが色こく現れていました。何とかスピードをあげることで、目標に早くたどり着きたいという気持ちばかりが前面に出すぎて、空回りしている場面が多々ありました。
全体にスピード感を出すことにこだわりすぎて、焦っているように見えてしまうことが多々ありました。
3本のストーリーが入り乱れる構成ですが、そのうちの1組が松本大洋の「鉄コン筋コンクリート」のパクリで、衣装がほとんど漫画のままというのには、笑いました。
一作毎に成長の感じられる劇団です。次回作も是非、見たいと思います。

MONO「うぶな雲は空で迷う」


2013年3月25日 19時30分開演 赤坂レッドシアター
作・演出:土田英生
出演:水沼健、奥村泰彦、尾方宣久、金替康博、土田英生
2回目のMONO観劇でした。ロビーで今までの40回の公演のポスターの展示がありました。時間ギリギリで入ったので、詳しく見る余裕がなかったのですが、私が知らないだけで結構古い劇団だったのですね。前回の「少しはみ出したら、殴られた」と言い、今回の公演もそうですが、落ち着きというのか、安定感はそこからきているのでしょう。
「大きな戦の後、大陸がなくなって様々な島々に別れてしまった世界を、飛行船で飛び回る五人の窃盗団」という、ラピュタから借りてきたような背景設定には、ラピュタ好きとしてはニンマリしてしまいました。
嘘をついてまでも自分のアイデンティティを確立したいという馬鹿げているが愛おしい人間を、優しく描けているのには、感心しました。

2013年3月24日日曜日

ワワフラフラミンゴ「馬のリンゴ」


2013年3月15日 19時30分開演 神楽坂フラスコ
作・演出 : 鳥山フキ
出演:北村恵、浅川千恵、石井舞、加藤真砂美、佐藤祐香、名児耶ゆり
以前、鳥山フキの個人企画の公演を見に行ったところ、独特の不思議な感覚があることはわかるものの、それのどこが面白いのか全く理解できず、本体のワワフラフラミンゴの公演を見てみようと考えていたことを実行しました。
神楽坂の表通りを一歩はいったところにある、小さなギャラリーが会場でした。私には慣れ親しんだ、劇場という「何かを見せてやる。」という雰囲気に満ちた場所とは違い、何かが始まるという感じの全くしない静かな時間が流れているだけというギャラリーを、会場に選ぶ理由は何なのでしょうか?
会場費が安い。
観客と出演者の距離が異常に近い。
そんなところでしょうか?もっと、何か深い理由があるような気もします。
芝居は、やはり、フワフワ、フニャフニャした不思議な感覚に包まれた日常会話と、同じ感覚のままでの吸血鬼との会話で構成されていました。どなたかがチラシの裏の推薦文で、「女の子の秘密の会話を覗き見ているようないけない感覚」というようなことを書いていましたが、私とっては、目前で赤裸々に繰り広げられる不思議な会話という感じでした。
私が男性だからか、年寄りだからか、理由は今ひとつわかりませんが、面白いとは思えませんでした。あの感覚に共感できる人には、面白いのかもしれませんが、私はダメでした。

2013年3月14日木曜日

月刊根本宗子「今、出来る、精一杯。」


2013年3月12日 18時開演 下北沢駅前劇場
作・演出:根本宗子
出演:早織、加藤岳史、墨井鯨子、梨木智香、大竹沙絵子、前園あかり、下城麻菜、あやか、遠藤隆太、浅見紘至、野田裕貴、根本宗子、片桐はづき
劇団名の珍しさに惹かれて見に行きました。結論を一言でいえば、高校演劇じゃないんだから、そんなに頭でっかちにならないで芝居をして欲しいということです。
チラシや当日パンフレットにも書かれていますが、最近、根本宗子の親しい人が亡くなったようで、そのことに影響を受けて書かれた芝居のようです。
他人との関係をあまりにも真面目に、もしくは頑なに自分の考えを貫き通そうとするために、めんどくさい人になっている人々が描かれています。中学時代に事故で女性を半身不随にしてしまい、自分はどもりになってしまった人、引きこもりに惚れたため相手のすべてを肯定しすぎて、完全に依存され自分も崩壊してしまう人、前のバイト先で自殺がおき、それを自分のせいだと思ってしまい、さらに自分のからに閉じこもってしまう人など、様々なめんどくさい人々が出てきます。その人たちが、一人のバイトのわがまま放題の振る舞いに振り回され、やがて、自分なりの「今、出来る、精一杯」を考えて、一歩を踏み出そうとする。そんなストーリーなのですが、何しろ、ほとんどすべてを台詞で説明してくれるので、芝居を見ているというよりは、芝居の解説を聞いているような感覚に陥ります。最後に、駄目押しでスライドで、「人間関係はめんどくさいことが色々起きる。一度に呑み込むことはできないけれど、精一杯飲み込んで前に進んでいこう。それが、私にできる精一杯。」(おおよそ、そのような意味だったと思います。なにしろそれまでに説明が多すぎて、お腹いっぱいの状態だったので、半目を開いているのが精一杯だったので)という言葉が出てしまいます。
これを出すくらいなら芝居なんかやめて小説か、エッセイでも書けば良いのにと思わざるを得ません。それは、芝居を見たお客さんが感じることで、そのために芝居をするにではないでしょうか?
完全に勘違いしているとしか思えません。
次回作を見に行くことはないでしょう。

2013年3月12日火曜日

KAKUTA「秘を以て成立とす」


2013年3月5日 19時30分開演 三元茶屋シアタートラム
作・演出:桑原裕子
出演:吉見一豊、藤本喜久子、清水宏、成清正紀、瓜生和成、原扶貴子、佐賀野雅和、若狭勝也、高山奈央子、野澤爽子、桑原裕子、ヨウラマキ
トムズプロジェクトの「熱風」の時にも思ったのですが、桑原裕子は達者な作家だと思います。謎を含んだまま進んで行くストーリーで観客の興味を引っ張り、最後にスッキリ謎解きをして納得させ、更に明日への希望をさらりと提示して、優しい気持ちで客を帰す。できそうでなかなかできないことだと思います。
ストーリーは、子供の頃、姉を死なせてしまったと思い込んだ医者が、それを超えるため、エリートの医者と、乱暴者の大工を別人格として生み出し、生きていく。家族は、それを秘密として隠して生きことで家の平和を守っていく。しかし、町内のマラソン大会をきっかけに秘密が公になり、もう一度、やり直す決心をする。それ以外にも様々な人の様々な秘密が描かれて行き、人間は実に秘密を抱えながら生きている動物であることが提示される。
秘密というテーマ自体よりも、それを抱えて右往左往する人々が良く描かれていて、実に笑える芝居に仕上がっている。
しかし、自分の病気を自覚した主人公がやり直す決心をするラストで、妻と手を取り合ってマラソンに復帰するのは、あまりにも安直な演出にしか見えませんでした。何か別の意図があったのでしょうか?
最後に、役者としての桑原裕子も特筆すべき存在だと思います。
ブサ可愛いを絵に描いたような演技で、メインストーリーとあまり関係ないところで、芝居を膨らませていました。

アマヤドリ「月の剥がれる」


2013年3月5日 14時開演 座高円寺1
作・演出:広田淳一
「散華」と言えば、私の世代だと高橋和巳の小説「散華」ということになるのですが、この劇団にとっては、どんな意味を持つのでしょう。本来の意味は仏教で法要時に花をまいて場を清め、悪霊を祓うということらしいですが、その後、戦死の婉曲的表現として使われるようになったようです。
ストーリーとしては、散華と称する平和運動が起こる。これは、自国の軍隊が人を殺すたびに、会員は一人づつ自殺していくという運動。運動はやがて世界中に広まるが、最終的に大量殺戮兵器が使われ、会員の大量自殺が起こり、運動は崩壊する。
それを反省して、その国では「怒り」を放棄することで、平和を目指すことを選択する。ざっとまとめるとこのようなストーリーなのだが、私には、どこにも共感できるところがありませんでした。
と、ここまで書いたところで、時間となったにでソワレで劇団KAKUTA「秘を以て成立とす」を見ました。KAKUTAの感想はまた別稿で書きますが、見てわかったことがあります。それは、アマヤドリの役者の芝居が下手でそれに共感できなかったので、散華の考え方に共感できなかったわけではないということです。共感以前の問題で、下手な芝居にうんざりしただけだったのです。
演出家にもその自覚があったようで、ダンスをいれたり、コロスのような人が場面場面で、外から見ているという演出を多用したりしていました。しかし、私には更に意味不明度を増しているだけのように思えました。
次世代を担う劇作家の一人と期待されているという前評判を聞いて、見に行ったのですが、残念な結果となりました。

2013年3月4日月曜日

LEMON LIVE Vol. 10「トリオ」


2013年2月28日 19時30分開演 下北沢 OFF-OFFシアター
作・演出:斎藤栄作
出演:西牟田恵、野口かおる、武藤晃子
日替りゲスト:我善導
開演前の日替りゲストと作・演出の斎藤栄作のトークで知らされるまで全く知らなかったのですが、LEMON LIVEとは斎藤栄作のプロデュースユニットであり、過去9回男優ばかりで公演を行ってきたこと、今回、10回目ということで、初めて女優ばかりの芝居をやってみたことなどを知りました。
何も知らないまま見に行った私のお目当ては、もちろん、野口かおる。ベッド&メイキングスの好演以来、気になる女優です。
芝居は、完全に三人に向けた当て書きで、売れない音曲漫才トリオで、酸いも甘いも噛み分けた年増の姉御が西牟田恵、奔放でだらしなく一人では生きていけない女が野口かおる、チャッカリしていて目ざといが、基本的にはいいこの若手が武藤晃子、その三人が一人の男(日替りゲストの男優)を取り合うのだが、実は女癖の悪い男を懲らしめる手のこんだお芝居だったというストーリー。
トムプロデュースの「熱風」の時にも思ったことですが、当て書きで演技に余裕のある時のベテラン女優の爆発力は、すごいものがあります。この芝居でも、コント風あり、ドタバタあり、サスペンスありの盛りだくさんの内容でしたが、あっという間の90分でした。
特に、野口かおるが長いアドリブのシーンで叫んだ「台詞なんかどうでもいいじゃない。(舞台の上で)生きてさえいれば!」というセリフには、感動しました。
秋には、つかさんの「買春捜査官」を演じるようですが、今から楽しみです。

扉座「つか版忠臣蔵」


2013年2月28日 14時開演 すみだパークスタジオ
原作:つかこうへい
脚本・演出:横内謙介
つかこうへいさんとは、つかさんが有名になる前、早稲田の劇団と一緒にやっている時に、その劇団に参加していた高校の同級生の誘いで手伝いに行ったのが、最初の出会いでした。まだ、「熱海殺人事件」の前で、「郵便屋さん、ちょっと」をやっている頃でした。それがきっかけで、私は、舞台照明の世界に足を踏み入れました。途中、いろいろ回り道をしたけれど、今、また、照明の仕事をしています。つかさんとその劇団の人々には、芝居について色々教えてもらいました。
その後、仕事が忙しくなってつかさんの舞台を見ることもなく、今日、40年以上ぶりにつかさんの芝居と再会しました。
40年ぶりのつか芝居は、思っていた以上に面白く楽しいものでした。年をとったせいで、役者や観客のエモーションを無理やり高めるために大音量で鳴り響く音楽は、少々辛いものがありましたが、あっという間の2時間15分でした。現代にあのような形でつか芝居を再現できた横内謙介の才能はたいしたものです。
つかさんの芝居は、「やせ我慢の美学」だと思います。惚れた女のためにすべてを打ち捨てて討ち入りにいく。忠臣蔵では、討ち入りを企むものとして井原西鶴と中村座の座長七五郎が描かれていますが、討ち入りを悪用する黒幕というより、討ち入りの動機を説明するという役目にしか見えません。つかさんの力点は、「やせがまん」におかれています。
他に面白かった点としては、井原西鶴役の役者が、どう見ても漫画美味しんぼの「海原雄山」にしか見えなかったこと。本人も完全に意識していると思います。また、殺陣が、すごく良くできていて、様式美の領域まで達しているように思えました。最近見た殺陣の中では、秀一でした。
前から思っていたことですが、つかさんのあの長台詞のルーツは、大衆演劇の「見得」にあることを、再確認しました。逆説的にいえば、長台詞を成立させるために、日本人の共通の美学である「やせ我慢」を持ち出し、それを煽るために大音量の音楽を流すと言えるかもしれません。
これだけ楽しかったのですが、、もっとつかさんの芝居が見たいとはあまり思いませんでした。昔のガールフレンドに久しぶりに再会して楽しかったが、よりを戻したいとは思わなかっということなのかもしれません。

2013年2月28日木曜日

鹿殺し「BONE SONGS」


2013年2月27日 19時開演 池袋東京芸術劇場シアターイースト
作:丸尾丸一郎
演出:菜月チョビ
出演:菜月チョビ、松村武、姜蜴雄、丸尾丸一郎、オレノグラフィティ、山岸門人、谷山知広、森貞文則、橘輝、傳田うに、坂本けこ美、円山チカ、山口加菜、鷺沼恵美子、浅野康之、近藤茶、峰ゆとり、佐竹リサ、有田杏子
始まってすぐびっくりしたことは、全員のダンス、歌、楽器演奏のスキルが格段に上手くなっていたことでした。前回の「田舎の侍」の時に比べると、アマチュアとセミプロぐらいの差がありました。
舞台は、菜月チョビ on STage といっても良いほど、菜月チョビを中心において、周りを客演の松村武をはじめとした役者達が入れ替わり立ち替わり固めるという構成で、しっかり芯のあるものになっていました。
私が見始めた頃のような、客演の役者は面白いが、劇団員はズタボロという時期を経て、前回あたりから方針が変わったような気がします。
ストーリーは、「人は、みんなに支えられて生きている。」という道徳の時間にでも出てきそうなテーマを、暴走族と、卓球と、ロックバンドと、プロレスで物語るという鹿殺しらしいものでしたが、私としては、ラストも叙情的にならずに、最初のスピードで駆け抜けてくれればもっと面白かったと思います。
ダンスや楽器だけでなく、着ぐるみやコスプレの小道具のクオリティも上がっていて、それには感心するのですが、新たな問題も抱えてしまったような気もします。客は、ダンスや演技の技術が低くてもそれを超える何かがあれば、勝手にその可能性を想像して感動したりします。中途半端にうまくなると、それは、ある意味普通なので、冷静になったりしてしまうものです。鹿殺しは、今、その分岐点にきているような気がします。
私が鹿殺しを好きな一番の理由は、今の小劇場の中で、最も昔のアングラの匂いを持っていて、それが魅力になっているところです。今の小劇場は、皆スマートで、カッコ良く見せることがうまくて、泥臭いことはしません。その中で、鹿殺しは、あえて泥臭いことをやって見せる。そこが他にはない魅力です。
裏方は基本的に職人なので、自分の仕事の完成度を上げることを目指します。その職人的な完成度と、自分たちの泥臭さをどうバランスをとっていくか、脚本、演出の力にかかっていると思います。
亡くなった忌野清志郎のホーンセクションを長年務めた梅津和時は、清志郎との思い出話の中で、「ホーンセクションが、少し難しいハーモニーをやろうとすると、そこは基本的な泥臭いハーモニーを要求された。」と、語っていました。泥臭くやったからこそ、あれだけビッグになれたのだと思います。
鹿殺しが、今後、どうして行くのか、楽しみです。